本日から冬季休暇。
帰省ラッシュの中、まさに新幹線に乗り実家帰省中。

最終日も残業でしたが、仕事は終わらないまま、冬季休暇に入りました。
年始から始まる決算処理、予算業務、その他依頼業務が不安でなりません。

そんな一昨日と昨日の会社の帰り道は、ずっともしも私が死んだなら、という仮定を考えていました。

生きるのが辛い。生きるのがというか、仕事が辛い。余裕がなくなり、性格が悪くなる自分が嫌い。思っていた以上に弱い自分が嫌い。

もしも私が死んだなら。

親不孝であることは間違いない。
親に迷惑かけてきたから、親孝行してもしつくせないのに、自殺したら、親孝行どころか、最大の親不孝だ。

彼は、親友は悔やむだろうか。
彼は強い人だから、弱い私を責めるかもしれない。
親友はどうして救えなかったのかな、とか、何で死を選んじゃったの、とか分からないけど、少なからずショックを与えてしまったのだろう。

だから、死んではいけないんだ。
でも、死んだら解放されて楽になれるのかなとか、もしも私が死んだらとか、考えてしまう。

電通で死んでしまった子はここまで社会にインパクトを与えると想定していたのかな。想定したうえで、ツイート等により、記録を残していたのなら、すごいな。

彼女は綺麗で可愛くて、そして東大卒。
ここまでの影響力があったのは、それも大きな理由だと思う。

私は残念ながら東大卒とは程遠い、とある地域の付近にはそれなりに品があるイメージをもたれてる女子大出身。全国的にネームバリューある大学ではない。

同じ総合職で無名大学は恐らく私くらいで、東大、一ッ橋、早稲田、慶応、上智、京大、阪大、神大、とかなんだけどな。

でも、私はというと無名大学出身だから、そんな私が過労で死んでも、影響力は皆無なのだろうか。
別に有名人になりたいわけではない。
むしろ、ひっそり死にたい。
ただ、どうせなら、現実と、どうか本当に働き方が変わるよう、訴えながら、死んでいきたい。

もしも私が死んだなら、私はその死に価値を見出せるのか。

もしも私が生きるなら、私はその生命に価値を見出せるのか。

どんな選択であれ、せっかく育ててもらったので、価値を提供できる自分でありたい。

ただ、冬休みは少しゆっくり休みたい。
リフレッシュして、どうか前向きになってくれ、私の脳よ。