行ってきました!


の続きですm(_ _)m





今回のダムナイトの出演者たち

萩原雅紀(ダムライター/ダム写真家)

夜雀(ダム愛好家)

川崎秀明
(ダムマイスター/エンジニアスカワサキ)



どの方もダム界では有名ですびっくり



夜雀さんは女性ライダーで
ツーリングでダムを度々訪れているうちに
ダムに魅せられダムマニアになった方。
ダムに対する造詣は深く、当時の設計図面や文献などを取り寄せて、疑問に思う事を徹底的に追求する姿は尊敬に値しますね。
憧れます(//∇//)




川崎秀明さんは1956年生まれ。九州大学大学院修了。1981年、旧建設省入省。開発課、沖縄総合事務局、国土技術政策総合研究所など豊富なダム経験から、現場密着をモットーとする旧建設省技術屋タイプとしては最後のエンジニア。近年はダム工学会活性化小委員会を通じてダムファンの拡大に努めている。現在、財団法人ダム技術センター首席研究員。
まさに重鎮(//∇//)




そして一番分かりやすく
ダムに貢献したと言ってもいいのが
萩原雅紀さん。
そう!何を隠そう!
この方がダムカードの生みの親なのです!

【ダムカード誕生秘話】
ある日、地図を見ながら厚木の辺りをドライブしていた時、建設中のダムがあることを知り「よし行ってみよう!」となりました。
相模川の支流、中津川に沿って走っていくと、途中で通行止め!それ以上、奥に進めません。
でも、その場所がどうしても気になった萩原さん、諦めずに何度か出かけてみると、1年後通行止めが解除になっていたんです。
新しい駐車場が出来ていましてね、そこに車を止め、遊歩道を歩いて行くと、いやぁ、びっくりしました。目の前にドーン!と150メートルのコンクリートの壁!子供の頃、小河内ダムを見に行ったことはありますが、あんな巨大なダムを、真下から見上げたのは、初めて!なんだ、この巨大さは!ダムって、ヤバい!そう思いましたね。

今では人気スポットになっている「宮ヶ瀬(みやがせ)ダム」でした。
それが2000年の頃で、それをきっかけに萩原さんは「ダムマニア」となり、『ダムサイト』というホームページを開設し、会社の休みを利用して、ダム巡りの旅をするようになりました。
ところがちょうどその頃、長野県の脱ダム宣言や、群馬県の八ッ場(やんば)ダム建設中止騒動などと共に、ダムは環境破壊!税金の無駄遣い!ムダ!といった風が吹き荒れ、ダムは〝冬の時代〟を迎えていました。
話を聞きに、管理事務所を訪ねたら『ダムを見て、何が楽しいの?』と言われました。職員の皆さんは自分の仕事に、やりがいを感じているようには見えませんでしたね。

ホームページ『ダムサイト』には「人気投票ランキング」があって、開設当初は埼玉と群馬の間にある「下久保(しもくぼ)ダム」が1位でした。それを見た下久保ダムの職員から、ある日メールが届きます。
『どうして下久保ダムが1位なんですか?』という問合せに、私なりに分析し、人気の理由を返信すると、その職員さんは自分が守っているダムが人気一位だということにすごく喜んでくれましてね。
それ以来、萩原さんとその職員さんとの交流が続き、トークライブを開いた時、わさわざ下久保ダムから見に来るほどの関係になったそうです。

そのトークライブで、ポケモンカードみたいな『ダムカード』を作ったら、それを貰いに、職員と観光客の交流が生まれるのでは…、そんな話をしたんです。
するとそれを聞いた下久保ダムの職員さんが、国交省の会議で提案してくれて、それはいい!となって、2007年の夏『ダムカード』が誕生しました。
インタビュー記事より抜粋



萩原雅紀さん!あざーっす!
ダムカード収集という私の人生の楽しみがひとつ増えたのは貴方のおかげですおねがい






さらに萩原さんは…

ダムをめぐることは、つまり全国を旅することである。地域や流域によってダムの形式や用途が異なるので、ダムを見れば、その周辺の事情が浮かび上がってくる。洪水が起きやすいのか、地質は硬いのか、もろいのか。発電用ダムが多ければ、急流で水量が豊富な川なんだな、ため池が多ければ農業が盛んなんだな、といったことも分かる。ダムを見るということは、その川や流域にとどまらず、国全体を見ることにも繋がっていくのだ。
ダムマニアの萩原さん…、原点となった宮ヶ瀬ダムの所在地に戸籍を移すほどのこだわりです。3年前、娘が誕生した時、ダムにまつわる名前を考えましたが、それだけは、奥さんの「ダメ!」の一言で却下されました。
写真集「ダムに行こう!」より抜粋


ダムにまつわる名前って…滝汗










 
さてさて本題ですグラサン

イベントは中盤にさしかかり
夜雀さんのコーナーになりました。
テーマは「千苅ダム竣工時の鋳鉄製ゲートについての調査」

コレがすごい!
まさに夜雀さんの真骨頂!
とも言うべき深い深い内容でした。

そもそも千刈ダムに装備されていたゲートがサーニットゲートだと著書に記していた夜雀さん。しかしよくよく見てみるとなんか違う?と気付くことからこの調査が始まりました。




当時の学会誌や文献などを調査して
ひとつの結論にたどり着く様は圧巻。

今までに日本でゲートの種類として定義されていたどの種類にも当てはまらない、いわゆる新種である事が判明!


仕組みはこうです↓


平常時の貯水位
ゲートは一番上の高さまで引き上げられている。フロートは格納室の底にある。


下矢印


貯水位が上昇して洪水時水位に到達したら、各ゲートピアの中に設けられたカウンターウエイト兼フロートの重錘が収められた格納室に水が入っていく。


下矢印


フロートが格納室内で浮上。同時にチェーンで繋がった扉体が下がり始める。


下矢印


フロートが一番上まで浮き上がった状態。
扉体は一番下まで下がった状態。
貯水位が低下すると格納室のフロートが下がり始め扉体は元の位置に上がる。


イギリス人エンジニアのレイノールドさんが考案したとされるこのシステム…
スライドゲートは通常は上に持ち上がって開く仕組みですが、コレはゲートが下に下がる仕組み。
しかも!
錘とゲートが釣り合った状態のところに、洪水時に錘側に水を取り込む事により錘が浮上してゲートを下げる。
そう!
日本最古のスライドゲートとされている、100年も前に作られたこのゲートは、人の手を借りずに扉を開閉する完全自動システムだったのです

名付けて!

フロート式チェーンローラーゲート
レイノールド自動扉門
ぱちぱちぱちぱち👏👏👏👏👏




ね!すごいでしょーー?

コレ見た時、ジントニックを飲みながら
鳥肌が立った私ですラブ←大興奮

夜雀さん!アンタやっぱ凄いよーー!






ここまで読んでくれてる
あなたも凄いよーー(笑)






すみません💦

続きます( ̄∇ ̄)