欧米ではしばらく、多様性やリベラリズムが推進されてましたが、それがここへきて後退する流れとなっています。
なぜ上手くいかなかったのか。
以下、スピやエネルギー方面からの視点で書いていきます。
うろ覚えですが、村上春樹さんの「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に、世の中が綺麗事で埋め尽くされると、“やみくろ”が反動を起こす、みたいな描写があります。
“やみくろ”とはつまり、私たちの闇の部分のことでしょうね。
そして“綺麗事”は光の部分です。
そしてこの地球で言われる多様性やリベラリズムは、綺麗事に該当するでしょう。
地球も私たち自身も闇と光でできているのに、光のほうにフォーカスしすぎて、また急進的すぎて、闇を排除するようなかたちになってしまったんだと思います。
だから欧米では上手くいかなかった。
一方、日本やアジアのほうには、「清濁併せ呑む」とか「水清ければ魚棲まず」と言ったような、闇を排除しない言い回しがあります。
並木良和さんが闇と光の闘いではなく、闇と光の統合だとおっしゃってるのにも通じますね。
表博耀さんも、闇も光のひとつの種類だとか、光一元とか、「抱き参らせる」ということをおっしゃってます。
つまり、多様性が失敗したのは、多様性という概念自体が間違っていたのではなく、急進的だったり、闇を排除するかたちになってしまってたことが原因ではないかと思います。
また、スター・ウォーズでも、闇と光のバランスをとることが描かれていますが、そこがアンバランスだったということかなと思います。
闇も含めて多様性であるのに、闇が置いてけぼりになるようなかたちになってしまっていたということかなと思います。
誰が闇で誰が光ということではなく、私たちみんなが持っている闇の部分が、外側に投影されているのだと思います。
SNSにあふれる、綺麗事や理想論を否定する声は、私たちの内側の声です。
闇を否定するのではなく、認めて統合する方向でいけば、今度は上手くのではないかと思います。