飽食の僕
ブログというツールがどれほど便利なものなのかは知っている。
どんな情報でも大概なら収集することができて、下手なサイトより内容の濃いものが期待できる。
これはブログを書いている人たちの無限に湧いた使命感と功績による賜物ではないかと思う。
私事で申し訳ないが、僕はこの4月から新社会人として新たな生活を始める。
その節目をキッカケに、自分もブログを開設しようと思い立ったわけである。
すでにブログでチームに関連した情報を公開している方々には、チームに対する熱心さや情報量という点で
遠く及ばないことは自覚しているので、僕はあまりチームの状況に突出せず、
あくまでも客観的に応援する立場で感想や思ったこと書きたい。
要するに自己満足。何かを始めたい自分を満足させるものだ。
けれど、それが何らかの形でチームのためになるなら嬉しい。例えば、僕の滑稽な駄文を読んで、
チームに対する興味関心を少しでも持ってもらえたり。いろいろ。
他にも始めたいことはある。
ゴール裏で叫んでみたり、全国どこでも構わずチームを追い掛けたり。
どれもささやかな行いかもしれないが、とにかく何かしたい。チームのためになることを。
サポーターという立場から。
今なら平凡過ぎた日常を変えられそうな気がした。こんな安易な発想は受け入れられないだろうか。
モーニング・グローリー
このチームを応援しようと思ったのは、単純に他に好きになれるチームがなかったから。
だから、昔から生活の一部にサッカーがあったわけでもないし、
自然とこのチームを応援することが日常になっていたわけでもない。
黄金時代の記憶も薄いし、挙句の果てに東京都民でもない。少し離れた埼玉県民である。
「このチーム好きだなぁ」ではなく「このチームを好きになろう」が最初の出会いだった。
そんな不自然な出会いから数年、このチームを応援するという行為は、
自然な形で日常の中に取り込まれている。切って離せないほどの粘着性を持って。
でも、思い返してみれば、僕がまだ小学生の頃には、みんなこのチームのグッズを
必ずと言っていいほどの割合で保有していたんじゃないだろうか。
僕自身もそれに漏れず、緑色の帽子と、エンブレムが描かれたシャツを着ていた。
「どうしてこのチームを応援しているのか?」と問われれば、
迷わずに「小学生の頃に印象に残っていたチームだから」と答えるようにしている。
これは先に挙げた理由に矛盾するが、決して嘘ということではない。
昼食後の昼休み、カズになりきってゴールを量産していた記憶は未だに鮮明だから。
週末、何とも表現の難しい心の浮遊感を持って、僕はスタジアムに足を運ぶ。
空に両手を掲げて歓喜してみたり、散々な結果に途方に暮れてみたり。
何が起こるか見当もつかないから面白い。いつだって新発見があるから続いていく。
そして、今年もそんな日々の始まりを迎える。出会いではなく、再会。
次はどんな発見があるだろうか。僕はまた、東京ヴェルディを応援するんだ。