15年近く昔に、

私の生まれ育った東京・港区・西麻布(旧霞町)の思い出を綴ったブログを開設していましたが、

このAmeba blog で復刻版として保存しておく事にしました。

 

とても変化が大きいこの地域なので、

私個人の思い出に共感して下さる方も多いかと思い、

少し手直しをして保存致します。

 

どうぞよろしくお願い致します。

 

<霞町昔話No27 母の仕事場と音楽仲間たち>


父の病気で大黒柱の働き手だった母は

あっちこっちで歌の仕事をしていましたが、
私が小学部中頃から、

横浜ニューグランド・ホテルの専属バンドの専属歌手になりました。

写真は現在(2年位前)のホテル入り口周辺の写真です。

 



母は時折、

私をその横浜ニューグランド・ホテルの仕事場へは連れて行ってくれました。


他の仕事場へ連れて行ってもらった記憶はほとんどありませんが、
ホテルは子供を連れて行ってもOKだった為でしょうか。

当時は船の人足などが集まってちょっと怖い雰囲気だった桜木町からバスに乗り、
当時の山下町周辺は建物すらあまり無くて、
バス停から草ぼうぼうの原っぱが多く明治屋だけがあったように記憶しています。
 
このホテルにはその後もご縁があり、

行く度に、又年を経るに従ってどんどん開発されましたが、
最初に母に連れて行ってもらった頃は、周辺には本当に何も無かったです。

ホテルのバンドは今思出だすと大変にユニークな編成で、
バンド・マスターはピアノの名手益田貞信氏で元男爵とかでしたし、
ハープ兼アコーデイオンの加藤さんという方はどこぞのお殿様の家系とか、
クラリネットの方はピアノも弾けたり、

ドラムの芝小路さんも名門の出の方で歌も歌われました。
 
しかしメンバーの入れ替わりは相当あったようで、

歌手も母の他にも居た時期もあったようです。

後年私がプロとしてピアノのお仕事を始めてから、
六本木に「パッサテンポ」という名前のピアノ・バーに出演させて頂きましたが、
オーナーピアニストだった杉野喜知郎さんは学生時代に、
この「ホテル・ニューグランド・アンサンブル」に

一時期在籍していらしたとのことでしたし、


ずっと大人になってから、

ホテル・ニューオータニでお仕事をご一緒させて頂いた

ベテランのアルト・サックスの五十嵐明要さん、
随分前に亡くなられたお兄様でドラムの五十嵐武要さんも

在籍していらっしゃったとのこと。
 
ホテル・ニューオータニのガーデン・ラウンジで

五十嵐明要さんとお仕事をさせて頂くことになった初日の会話。
「あーたはあの時のあの立花さんの娘さん?」

「はい。」

「こんなに大きくなっちゃたの?」
「はい、大きくなりすぎてもうオバンです!」。
「ボクが初めてあーたに会った時おムツしてたよ!」

(我が家には始終いろいろな人達が来訪していたので。。。)
「ぎゃー、ウソだって!計算合わないじゃないっすか!」
「そんなこたーないよ、ボクが16とか17の頃なんだからさ。」


五十嵐さんは大変に若々しく童顔ですから、

ほんの少しの年長の方と錯覚してしまいますが、
そうですね、大先輩でした!!!
この方は江戸っ子ですから、江戸弁の達人。

今でもお元気でご活躍です!

さて、話を戻します。
クリスマス・イブとかニューイヤー・イブに母に連れて行ってもらい、
そのイベントには

ビッグ・バンド(ブルー・コーツでバンマスは小島正雄氏)が演奏したりして、
外人のカップルが優雅にダンスをする光景はステキでした!

 



この頃はキラキラ光る三角の円錐のボール紙で出来た帽子とか、
同じように光る紙で出来たレイの様な首に掛ける物とか、

クラッカーとかの小道具が華やかで子供心はドキドキしたものです。

 



夏休みに連れて行ってもらった時の光景は、

いまだに目の奥に残像として記録されていて、
夕暮れの山下公園からその先の海と浮かぶ船にライトがうっすらと燈り、
バンドのオープニングに「トワイライト・タイム」のメロデイーが

アコーデイオンのメロデイーで流れる、
大きなガラスのダイニング・ルームは何ともそれはそれはロマンテックでした!

このバンドはどちらかというとセミ・クラシック的なレパートリーが多かったし、
とにかく何でも出来てしまう楽しいバンドでしたね。

 



それは外人の観光団などのニーズに合わせた曲目だったでしょうし、
母は「ラ・パロマ」、「インデイアン・ラブ・コール」、

「ラモーナ」、「煙が目にしみる」などを良く歌っていました。

バンド演奏もムーデイーな曲から

「エル・クンバンチェロ」とか「ブラジル」といった賑やかな曲まで演奏して、
ちょっと聞こえてくる食器などが触れ合う音、人々の会話の断片、
ボーイさん達のかすかな足音などが音楽とミックスして

大変に優雅な心地良い場面でした。

 

先ほどみつけた下の写真には、

ハワイアンの大御所で、

現在男性ジャズ・シンガーで売れっ子の小林桂さんの祖父、

私の中学生時代のハワイアンの師匠の村上一徳さんが、母の隣に。

母のナナメ後ろには

ビブラフォン奏者で作曲家だった平岡精二さんのお顔が。

 


 
三連隊から聞こえてくる

喧騒と嬌声が入り混じったウエスタンなどの音楽とは異なる、
上質のエレガントな華やかな世界と音楽の融合があることも知りました。
 
2009.10.30 補足2010.6.12 再補足2023.1.28

<当時頂いたコメント>
こんにちは。
こういう話を聴くとワクワクするレトロマンです(笑)
懐古趣味と言うと良くないですね。
古いから良いのではなく、

普遍的に良いものはいつの時代になっても良いのだ。と思います
でも、やっぱりもう少し早く生まれて来たかったと思います(笑)
タンゴも好きなんです
フロリダや藤沢蘭子や淡谷のり子、カルロスガルデルのCDも持ってます。
SPは重いし、良いのが少ないので、

復刻CDを蓄音機から音を出して聴いてます(笑)

でもアルテックの銀箱で聴いた方が良い音です
ニューグランド。今もひと際輝いてますね、憧れます。
ニューオータニ。
先輩が庭にある鉄板焼屋に良く連れてってくれました。
2階にあるラウンジでジャズのライブやってました。

通りがかりに良く聴いてました。
あの中にいらしたんでしょうか?
2010/6/13(日) 午後 1:31

<コメントに返信>
こんばんは。
私は村長さまより、5,6歳年長だと思いますが、

それでももっと早く生まれて来たかったと思っています!

タンゴも良いですね。藤沢蘭子さんは素晴らしかったですよ!
ジャンルに関係なくステキな音楽は大好きです。

私がニューオータニのガーデンラウンジで演奏をしていたのは、
1995年~2003年です。
多い時は週に3,4日演奏をしていました。
廊下からオープンになっていましたので、

廊下のベンチから拍手をして下さる方もいらしたり、

立ち止まって聞いて下さる方も。

不況の波が押し寄せて、

人件費カットということでバンドは全部クビになり、

自動ピアノが現在も置いてあります。

私は「弾き語り」として仕事をして来て、

このニューオータニではピアニストとして雇われましたので、

必死にジャズピアノの勉強をやりなおしました。
大変でしたが、今となっては良い思い出の場所です。
2010/6/14(月) 午前 2:22[ kasumi1321 ]

 

        

 

さて、先日facebookにアップしたお気に入りの曲は、

大好きなロバータ・フラックがビルボード・東京に出演した時で、

曲はJessieです。

 

 

★2月ワークショップ

日時:2/7(火)14:00~16:00

場所:横浜・関内A.B.Smile

伴奏:遠藤光夫:guitar、日向克典:bass、立花保子=piano

参加費:5000円

立花宛て予約をお願い致します。

 

歌とピアノの立花音楽教室

★ご興味のある方は是非体験レッスンを!!!
5回のワクチン接種を終了しておりますので、安心してお出かけください。
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