15年近く昔に、
私の生まれ育った東京・港区・西麻布(旧霞町)の思い出を綴ったブログを開設していましたが、このAmeba blog で復刻版として保存しておく事にしました。
とても変化が大きいこの地域なので、
私個人の思い出に共感して下さる方も多いかと思い、少し手直しをして保存致します。
どうぞよろしくお願い致します。
No.5 同居人達
後になって事情がわかるのですが、その5番地での家族以外の同居人とは、
当時は「間貸し」という風習があったようで、部屋を貸していた人です。
陸軍麻布第三連隊=現新国立美術館、現星条旗新聞社、赤坂プレスセンター、
及びミッドタウンは米軍に接収されていた為に、
龍土町、霞町周辺一帯に、
米軍人(噂では米軍人より英軍人が多く駐屯していたとか)が多くいて「基地の町」風でした。
上記の写真はネットからお借りした陸軍第三連隊の正門の写真です。
私が生まれ育った祖父が建てた5番地の家の周辺では、
憲兵が乗った馬、MPのジープなども始終見かけました。
幼かった遠い幽かな記憶としては、
三連隊(現星条旗新聞社)からの起床ラッパなどの音も聞こえていました。
5番地には広い家が多く、近所にも間借り人のロバートさんとテーラーさんというアメリカ人か、もしくは英国人などの男性などがいて、我が家とも交流がありました。
祖父が中国の官吏で大連駐在が長く、
祖父母も母も英語を多少なりとも話したからだと思われますし、
まだ駐屯していた外国人がとにかく多かったのでしょう。
我が家の間借り人は日本人女性タカギさんという人と他に、
忘れられないジニーさんというアメリカ軍関係の女性がいました。
ジニーさんは我が家の唯一の洋間だった応接間に住んでいました。
写真はタカギさんと私。
彼女は当時何歳だったのでしょう。若い小柄な女性でした。
髪の色も、瞳も黒くて、母から聞いた話では日系アメリカ人だったとのことですが詳細は不明。親日家で、子供好きだったことは確かです。
亡母が保存していたジニーさんの写真です。背景は江ノ島周辺でしょうか・・・・
父は病気療養中、母は仕事で忙しく、子供だった私は祖父、女中のきよえさん、
ばあやさんのおかつさんなどに可愛がって育ててもらったようですが、
ジニーさんも私を大変可愛がってくれました。
写真は女中のきよえさん。
この背後には大きな桜の木があります。
現在はこの一帯は高級マンションになっていますが、
この桜の大木だけが今でも港区の保存植物としてこの場所にあるのが嬉しい!
思い出深いシーンの一つは、
あるときジニーさんと一緒に歩いて表通り(現六本木通り)に出て、
彼女が合図をすると外人専用(多分軍人専用)らしきカーキ色のバスが止まり、
そのバスに乗って赤い絨毯が敷かれた劇場?に行き、生まれて始めて映画を見ました。
デイズニーの「バンビ」でした。バンビとかウサギのトンスケの可愛いらしさに大感激!
でも山火事のシーンが怖くて泣いた記憶があります。
そして残念なことに私はバスにも映画にも酔って気持ちが悪くなる子だということが判明。
映画は見たいけど、気持ち悪いし、ロビーの椅子と館内の席とを、
ジニーさんは根気良く私の手を引いて行ったり来たりしてくれました。
2008.2.1元書き
当時頂いたコメント
NO.32のリンクから拝読させて頂きました。
大変興味深いお話です。(@0@)
私事で恐縮ですが先週はどん底まで落ち込む事が非常に多かったので、
こういうお話は大きな清涼剤となってくれます。
私の暮らし始める前の麻布の光景・・・・・
それとジニーさん・・・私の麻布時代も外国人が多かったですが、
戦後の歴史とも密接に関連している事も分かり、
現在の麻布事情についての興味も出てきます。
素敵なお話を有難うございました。
m(u u)m
2010/9/17(金) 午後 3:58
ええ、人生にはどん底の落とし穴が何回か来てしまうんですよね!
このような拙い文章が少しは清涼剤のお役に立てれば嬉しいです。
どうぞ頑張ってくださいまし!
2010/9/18(土) 午前 2:07[ kasumi1321]
さて、先日のfacebookでアップしたお気に入りの曲は、
ベースのレイ・ブラウン・トリオで、ピアノは大好きなジーン・ハリスの演奏で、
なんとエルビス・プレスリーのヒット・ナンバーで、Love Me Tender でした。
始まりは綺麗なバラードですが、後半はカッコ良いブルージーな演奏になります。
次のライブ&セッションのお知らせです。
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