今日は一日ずっと家に籠ってPCで動画見たり、DVD見たり、借りてきたCD聴いたりして超有意義に過ごしましたアップアップ

しっかしPCの画面見すぎて目が痛い目ドクロ
そして猛烈に眠たくなってきたにゃー

あーなんか
好きな物があるっていいね。
あたしはそれが音楽だったりデザインだったりするんだけど
なんかねー
生き生き出来るね、自分は見る側聴く側だとしてもね。

あとね、人の縁って大事だね。
離れちゃったかなって思っててもふとした時にまた繋がったりね。
そうゆうものだね。


なんか時期的に欲しい服もそんな無いし。
鞄は買うけど。
今月は音楽関係にお金を使おう。
あたしはCD等はレンタルよりもデジタルよりも現物を買う派です。
だって歌詞カードやジャケットが気に入ったデザインとかだったら絶対手元においておきたい。
あと「お金を出して買った好きな物」っていうちょっとした自己満足的なね。
アレがね、あるし。



なんかいいよね。



こないださ、電車乗ってて
あたし電車は座るよりもドア付近に立って景色見るのが好きなんやけど
こないだ梅田に向かう電車乗ってて
バンプ聴きながら窓の外見ててね。

ちょっと間開けて普通電車が並んで走ってたの。
あたしの電車の線路のが位置的に上やったから
ちょっとだけ見下ろす感じで見えたの、電車内が。

距離が近いからその普通電車の中にいる人が見える。
座ってたり立ってたり、話していたり。
みんなまさかあたしに見られているなんて
全く思ってない。
その人の完全なる日常をあたしは見てて
その普通電車の中の人はあたしの存在を知らない。
そしてこれから先、死ぬまであたしという存在を知る事は無いであろう。

その普通電車はあたしと同じ梅田を目指して走っている。
お互いの存在を知らない人々が
同じ梅田に向かっている。
全くお互いの存在を認知しない者が
同じ梅田という場所を認知し
同じ時間帯に向かっている。

あたしという存在は
本当に少ない人々の中にしか存在しない。

例えば道を歩いていても
横をすれ違ったとしても
視界にあたしが写らなければ、その人の人生にあたしという人間は登場しない。
それはあたしがこの世界に生きていないのと同じ。

たとえば肩がぶつかっただけでも
その瞬間だけはその人の人生の中に「肩がぶつかった相手」として登場する。
しかしその2秒後には忘れ去られてしまう。
あたしがその人の人生に存在するのは「肩がぶつかった瞬間」のみ。

そうやって考えながら景色を見て
マンションを見る。

その大きな1つマンションには
何部屋もあって
そしてその部屋の中には家族なりがすんでて
そしてそれぞれの人生を持っている。

あたしからしたら
ただの大きな1つのマンションとして存在しているが
その1つの中には
あたしが認知しない多くの人生が存在し
またその多くの人生はあたしを認知していない。

けれど皆梅田という場所は認知していて人生の中に存在している。

そんな世の中。

あたしは本当にわずかな人々の人生の中にしか登場しない。

そう思えば

アーティストはどれだけ多くの人に認知され人生の登場人物になっているのだろう。
そう考えれば
メディア等にでて多くの人に認知されるということが
どれほどのことなのか。

あたしという存在は
すれ違う人にさえ認知されないかもしれないし
目の前の走る電車の中の人々にも知られる事はない。

たとえばアーティストのメンバーは
あたしの存在など知らない。
この地球上に存在していることを知らない。
けれどあたしはそのアーティストを知っていて
しっかりと人生の登場人物として認識している。
そしてそうゆう人がたくさんいる。

そうゆうこと。

そうやって世界は動いているんだと思うと

なんだかとても果てしなく感じて
あたしが生きているであろう70年くらいの時間は
ほんとうに小さなものなのだと思った。


なんか頭の中にはこうゆう考えが広がっているのに
うまく文字にできないけれど。


電車に乗って窓の外を見て
好きな音楽を聴いて

そうゆうことを考えて

自分が今存在しているということについて考えたりする。


あたしはそうゆうのがとても好きだ。