六です。


12/28にライブ納めをしたのが
何故かもう既にかなり前に感じてしまう体感。


もう年末だねー。


2023は2022以上にグラビティを愛していくし、

2022の自分より愛せる自分になる。



2022の内に気を向けられたので書きました。
11/22に発売された11枚目のシングル
『電撃衝撃ライトニング』の楽曲解説ブログです。



このブログは音楽的なところよりも

伝えたい事がメインで書いてる。


ぶっちゃけ読まなくても曲は楽しめるけど

六は好きなアーティストがこういうの書いてくれたら読みたいと思うし、マインドを知ってもらうって中々埋められない距離が縮められるような気がしてこっちも嬉しいんだよね。



これでも作った時に同時進行で書いてるわけじゃないから

思い出しながらだしその時点で100%ではないけど


脳内の想いを文字にする時点で100%では無くなるし、

頭に絵を浮かべながら人は文字にするのに

その絵も届けられる訳じゃないから全部は伝わらないだろうけど




六の頭の中をみせたい




なるべく分かってもらえるように今回も書きたい。









電撃衝撃ライトニング



今作の表題。


これを作ってた頃、
自分にとって衝撃的な経験をしたんだけど
これはトラウマとも呼べるし

いい意味でも忘れない経験すぎて
どうにかその経験を自分の中に納めたくなくて
これくらいあなたに自分を想わせたいなって思って作った


歌詞に出てくる
ヴァイパーっていうのは直訳はクサリヘビ、
でもスラングの意味で危険人物、毒のある人、意地悪な人

なんだけど

君の人生を狂わせるくらい魅力的に衝撃を与えるね


そんな衝撃は僕が知る限り2種類ある

「一生このこと忘れない!!」って脳に刻まれるような衝撃的な体験


それはきっと

めちゃくちゃ嬉しい、楽しすぎた、

かっこいいかわいいとかの感動

幸せすぎた、一瞬でやみつき
それは後の人生をいい意味で奪う
そんな…

もうひとつは
価値観を変えるおおごとの衝撃
めちゃくちゃ悲しい苦しい経験
2度と経験したくない、覚えてたくないくらい辛い

そんな…トラウマ
それに取り憑かれて人生を奪われる



この衝撃(ショック)は電極と似ているなって思う。


NとS 真逆なんだけれど相反するものを持って1つだから。



この内容がポップに入ってくるように

電気系からの派生で強い衝撃の稲妻とかけ合わせつつ

もともとTikTokでおしていくとメンバー内で方向性を決めて

推し系の曲と決めて作った表題だから

どうにか伝えたい事は崩さず且つ
この衝撃を"推し"ってものに塩梅で落とし込めて

完成させたのがこの曲。


こういうのを推しを主体に考えれば
"沼る"だからそれならあなたはそこに咲く花かなとか



そんなこんなで迷いに迷って

実は3つくらいこの曲の歌詞書いた。



元々の歌詞は自分の目線で書いていたけど

推す方の目線に歌詞を変えたり

出来るだけ話を広げすぎて伝わらないって事がないように。


その中から1つに絞ってRECした。


それが今の電撃衝撃ライトニングの形


でももし別のスタイルで歌詞を書いていこうってなってたなら
きっとMVやアーティスト写真なんかも全然違ったんだろうね。


"推し"を考えなければ

もっとアウトローでシリアスな曲にするつもりだったし

MVにもトラウマを含む衝撃を伝えるような

一部一部に世界の事件的なのを挟みたかった


2Aの歌詞も

世の中には沢山ヤバイことが起きていて
webにあがるものなんて氷山の一角なのに
それを知らない人が沢山いるのは
人は光に眩んだ場所で悪さをしているからだけど
それでもそんな悪い奴らに
繁華街の裏道で強引に誰かの夢や人生をさらう権利はない

くらいまで書きたかった


そんな歌詞に合わせて
「ビビッときて」じゃなくて「ビビってきて」にして

ビビるって言葉ともかけられて言葉遊びできたなーとか。



でもどちらで書いていても
これはグラビティなのは間違いなくて



これも1つの選択。 


もしその選択があなたを手離してしまったとして


いつかの思い出に変わって


思い出フィルターがかかって楽しい頃が頭の中に

残っていくと思う


なら
いつか思い出した時、思い立って足を運んでくれた時


その綺麗な状態を損ねないような形でいたいし
あの時の選択はこうなる事を見越してだったんだなって

納得させたいし感服させたいし
いつ来たってあの最高だった過去のまんまのテンションを

あなたに取り戻させるよ。



もう出会う前には俺たちは戻れない



ライブで出逢えたのなら
僕らはあなたの未来まで取り憑いてるよ






  



UNDER5


myuが作ってきた約10年前夢中で自分らが好きで聴いてきた
キラキラしてたV系のサウンドを彷彿させるような曲。


ギターのフレーズなんかもリスペクトを感じるし、その上で全パートその懐かしい雰囲気に喰われずに今のグラビティ味になっているんじゃないかな 



仮タイトルは「ホワイトスニーカー


今のタイトルの由来は六の過去に基づくもの



これもそんな六の経験から描いた歌詞


突然だけどあなたはどんな靴をよく履いてる?




大学の時めちゃくちゃナンパのプロみたいな友達がいてそいつがよく言ってたんだよ
「どんな人か知りたいなら靴を見ろ」って。


靴には人間が現れる


色合いがモノトーンの靴ばかり履いてる人はこう
スニーカーばかり履く人はこう
ブランド物の靴よく履いてる人はこうって
その人の性格が靴にはよく現れるらしい。


その時、六が引っかかったのは

靴が汚いやつは基本的にだらしないから隙がある人が多い

ってところ。

それ聞いた時六の中で
靴汚くてもそんな事ない人が思い当たって


こういう話は統計にすぎないなって


俺の中の知ってる人を思い浮かべてそんな気持ちが

芽生えたように世の中には触れ合わないと理解らない
他人には想像できないそれぞれにきっと理由がある人だって

いるんだなって思えた



わかるよ
一般論とかある程度ないと生活しづらいし
噂とかも楽しいし。



だけど友達、恋人と実際に関わってるからこそ知ってる事とか

逆に関わってないと信じてもらえないような事とかあるじゃんか



めちゃくちゃ性格悪いって周りでは言われてるけど

実際関わってみるとそうとは思えなくて
見た目が綺麗だから故に周りの僻みだって気づくみたいな




触れなきゃわからないって意味では


CDで聴いてて微妙だと思ってたけど
ライブで暴れてみたりライブで聴くと

ライブの音のバランスってのはCDと違って聞こえる筈だから

雰囲気や楽しさも相まってかっこいいって思ったりする

のに似てる


それに



関わるからこそ

関係値次第で
言葉の意味なんて変わってくる



「一生好きだとかありえねー」
なんてのも人によっては意味が変わってくる
好きな人の言葉なら真剣に向き合ってくれてる証


顔を見ればわかるように何が言いたいのかわかるようになったりするけど、でもちょっと誤解があったり

それが口で伝えられなかった分の誤差



言葉も大事だけど言葉だけじゃ足りない
それくらいわかりあえる関係の人が1人でも多い程、人生は楽しく深くなりそうだし

素敵なものを共有できる幸せを得られる気がするから

誰に何を言われようが自分の気持ちに嘘をつかずに生きる



それが六の"生きてる"




×?△%◎



myuがゴリゴリに作ったライブで勢いを発揮するグラビティ1危ないサウンドな暴れ曲



リクトのスラップの見せ場が素敵な曲だよね


この曲のタイトルは読めなくて正解です。



じゃあメンバーはこれなんて言ってるの?と云いますと

仮タイトルが『ガシガシ』だったので

グラビティはこの曲をガシガシと呼んでます。



でもこのタイトルにも意味があるんだー



まあまずは曲に触れようか



歌詞に出てくるグラセフってのは
中学の時によく友達とやってた
GTA(グランドセフトオート)って呼ばれてるオープンワールド系の犯罪アクション18禁ゲーム



なかなか売ってもらえなくて必死で大人ぶったり

店駆け回って手に入れたのが懐かしいや



GTAの影響で犯罪を犯す子供もいたって

海外でニュースになってたのを思い出しながら歌詞書いてた。




影響?気にしすぎな気もするなーって。



犯した犯罪の理由なんて、
何をしたからそれをするなんて
因果作れないと思うんだよね。



子供には現実とゲームの区別がつかないから悪影響だとかは

日本の犯罪者はアニメが好きみたいな統計くらい怪しい。



でも確かに
全員が全員賢いとは限らないし
思慮の判別ができないくらい幼い子供の手に届かなくさせるには子供全てに渡らなくさせればいいという考えで

18歳未満禁止にしてるんだろうけど



でもそんな子供もどうにかして手に入れる奴も多いし

このゲームを手に入れる殆どが思慮の判別付くだろうし

つかない奴はこのゲームじゃなくても

その好奇心から別の似たような危ないとされる何かに手を伸ばす


悪い事って魅力的だから逆に全員出来る方が興味がいかない事もあるんじゃないかなとか



だから一部だけを切り取って規制って
敢えてしなかったら、、、?って思う事がある。



なんでだかわからないけど

世の中ってどんどん口うるさいのが大きく取り上げられて

昔よりどんどん厳しくなってきちゃって
たまーに息苦しさも感じる程に変だよね。



公園の遊具なんか良い例



遊具は一歩間違えば死に繋がるし危険だって
軒並みテープを貼られて、気付けば撤去されて
最近の公園は砂場やベンチ以外なんにも無いってとこも珍しくない。


果たしてこれは危険から遠ざけられてるのか?


生きてりゃ危険な時なんかいくらでもあるけど

それに直面するのを先延ばしにされてるだけなのでは?


そもそも危ない使い方をしないように使えばいいんじゃないのか?


それを守らないのが怪我するなんて自業自得じゃ無いのか?


小さい頃に怪我したりしそうになって学んで大人になっていくんじゃないのか?


これをなくしたからって子供は遊ばなくなるのか?


子供は次を探すはずだから別の遊びを見つけてはそれも危険だって取り締まるのか?



危険から遠ざければ
果たして本当に危険ではないのか?


大人から見える場所の危険から
大人から見えない場所の危険に向かうんじゃないのか?


それともそこで溜めた好奇心が
大人の監視から離れた時に爆発するんじゃないのか?


「子供の為に」排除。
そんな大人って見方によっては身勝手だよな


自分は危険とされる遊具が側にあった生活があったが故に今の自分がいるというのに。


その危険な遊具がない事で安全は想像しているとして

それがない生活をした子供の気持ちまで果たして考えてるのだろうか?想像できているのだろうか?



タバコも似たようなことを感じる。


煙草もどんどん厳しくなって吸えるブースが減ってるよね。
その上、路上喫煙もダメって世の中。


でも吸えるとこが減ればもちろん
綺麗事なんて抜けば
喫煙者だって全員が全員我慢しないし
怒られなきゃいいと路上喫煙増えて歩きタバコ、ポイ捨てする奴も出てくる。


ブースが今より増えればまた違う結果になるかどうかはやってみないとわからないかもしれないけどさ、

きっと今、喫煙に厳しい世論は
とされる喫煙者じゃない人達。

"じゃない"から

悪である喫煙者になった事がないから

理解出来なくてコントロール出来ない。



つまり

正しいものばかり触れていても
判断がつかない、ダメなものも知っておかないとそれが本当に正しいってわからないよね。って。
良いものを良いと分かるには
悪いものも知っておく必要があるってこと。



だからといって悪いものを知れよって助長したいわけじゃない


でも大人になった時に安全しか経験してない人が子供に危険を教えられるのかな?って疑問。



こんなこと言いつつでも
現在少年犯罪は減少傾向にあるらしい。



安全地帯にいつづけた子供が歳とった時の犯罪率は未知数。
爆発しなきゃいいけれど
そもそも規制されてない状態を知らなければ、
規制された状態が当たり前になって生きている事になるから溜まるものもないのかな?


ネットで残酷な映像なんかも沢山昔より観れるし時代が違うから危ないものも意外と安全に
触れられてたりするのかな?


規制は正解か。


ネットにおけるフィルタリングみたいなものをくぐり抜けようとする欲求がまた正解にさせるのか。




六は色んな事知りたい
何も知らないで笑ってたくないし
サメ野郎(知ったかぶり)にはなりたくない
知らないまま終わりたくない
自分の為に。


テレビみたいに言葉に規制かければ
"アレ"も"コレ"も"×?△%◎"






アンビグラム



この曲はバンU×in力のアルバム制作の時に作った曲。


アルバムから漏れてこっちのシングルに来る事になったよ。


全体的に3連符意識したり

癖出しや優しめにするところや音符の長さ

色んな事を意識して歌っていたりして


ベースもウォーキングベースが気持ちいし

ドラムのシャッフルと綺麗に混ざるよね


ギターのバランスもちょうどいいし

ツインのソロもギターが歌うようなメロディで

ブラスやピアノ、オーケストラも相まってかっこいい曲になってるって思ってる






僕が最近感じた事に
周りにとっては薬なものが僕にとっては毒でしかない事があって
そんな時に世の中って平等じゃないなって感じたり、でもそんな時に手を伸ばしてくれたら好きになっちゃいそうだなーって思ったり。



そんな気持ちで歌詞書いてた



アンビグラムってタイトルはそれにぴったりじゃないかな?


この中の歌詞に出てくるイプセンってのは、
ヘンリック・イプセン。
人形の家』が有名だよね、六は『幽霊』の方が好きだけど。


高校生の頃に現代文をきっかけに出てきて

興味あって読んだのを思い出して

何か通づるものがあるなって思った


もし、知らなかったら触れてみても面白いかも。



そして毒から先へ先へ掘り下げて
本当に死ぬって体験を何度かしたのを思い出して。



去年の9月遠征帰りの高速道路、杏と車で2人で台風の中帰ってると前の方で玉突き事故があったのを前のトラックが急ブレーキを踏む事で知り、ブレーキ間に合わず突っ込んで僕たちはほぼ無傷でありながらも死にかけた。


あの日から人生2度目がはじまってるのを思い出して

あれも毒であり

この先がある、生きてられるのがありがたく感じる薬でもある


死にたいと望むくらい苦しい体調の悪い時間を経験した時、


あれは意識がぶっ飛びそうだったけど

意識飛ばしたら死にそうだったから
現実逃避するようにどうでもいい事を考え出して
心臓が止まらないように息を意識して…
でも足攣った時に1番意識がすごい戻ってくるんだよね。


その時は痛みだけが意識を取り戻してくれるのかって思ってたけど、よく考えたらそうじゃない。


痛みで意識保たせようと身体がきっと必死だったんだろうね、


意識消えたら多分死んじゃうからだった。




六はこの歌を歌う度にそういう死にかけ体験を思い出す。

今歌えてるのあの日1回死んでると仮定して人生のアディショナルタイムだなーとか。



きっとそれぞれが聴く時に描く情景が違う。


それって面白いよね。








11th楽曲解説ブログでした


まとまってなくて読みづらかったらごめんね


でも割とたくさん書き直した




また書き損じてたら追記するかも。


さーて次は歌詞書くぞ



良いお年を。