第二段 検察審査協会の成り立ち その1

昭和23年の検察審査会法施行以後、各地で

検察審査会クラブが発足しました。

昭和30年5月13日に東京地裁で開催された、

東京高裁管内既成団体連合会創立総会に

出席したのは、東京、八王子(後の立川)、横浜、

小田原、静岡、宇都宮、長野の計7団体です。

この時、会長として初代となったのは

東京検察審査会クラブの氷見山長太郎氏でした。

同年9月16日の第一回理事会に於いて

会の名称を「検察審査会クラブ全国連合」と決定しました。

この年には次の団体が加入しています。

10月10日 横須賀検察審査会クラブ

11月 4日 高松検察審査会協力会

11月12日 呉検察審査会クラブ

12月 9日 札幌検察審査会クラブ

昭和31年

 1月25日 熊本検察審査会クラブ

 2月 6日 釧路検察審査会クラブ

 4月17日 広島検察審査会協力会

 5月 3日 弘前検察審査会クラブ

 6月27日 網走検察審査会クラブ

 7月28日 三次検察審査会協力会

 8月 9日 都留検察審査会協力会

11月 5日 津検察審査会クラブ

これ以降は次の機会に掲載します。

昭和31年2月15日には、最高裁刑事局との

懇談会が東京・呉竹で開催されています。

初代会長の氷見山氏は、この年で退任し

昭和32年からは、同じ東京検察審査会クラブの

武田俊雄氏にバトンタッチをしています。

このように東京協会は、全検連に於いて主導的な

役割を果たし、のちに恒久的待遇として全検連副会長の

席に定着する事になります。

追ってお話する事になりますが、

最高裁判所刑事局との関わり合いや、連合体が

如何に形成されたかを伝える方法を見出せなかった

結果、ある事件を機に、検察審査協会が現在に至るまで

肩身の狭い思いをすることになったのです。