理解


学問や事象の理解は

ある定義やある法則に乗っとって

可能になることも多いです。


人間の場合は、その定義や法則が

人によって当てはまったり

当てはまらなかったり

また

同じ人でも時間経過や

状況•立場によって

それが当てはまらない事もあります。


人が人を理解するという事は

難しいという事です。


また

美輪明宏さんのお言葉に

『他人はあなたを100%理解出来ない』というものがあります。


自分の全てを理解して欲しいけれど

それは不可能だということです。


たとえ家族であってでもです。

しかしながら

私も含めて多くの人は

他人に

身近な友人に

そして愛する人々に 

出来るだけ自分を理解されたいと

思っているのではないのでしょうか。


私の個人的な考えを述べるならば

夫婦(パートナー)間の

理解』とは


『受け入れるという理解を示してくれる』事だと考えています。


先程の美輪明宏さんのお言葉の通り

私の夫は

私の全てを理解することは出来ない

そして私はそれを知っています。


そして

私は夫に理解されなくてもいいと

思っている事もある。

(敢えて夫婦間で共有認識しなくていい事です)


私が理解して欲しいと思う時

夫は拒絶せずに理解を 

示してくれるでしょう。


もし夫にはそれが

理解出来ない事であったなら

私が理解して欲しいと思っている事は

受け入れる

そういう形で理解を示してくれる。


また

敢えて私が理解を求めていないのなら

そのまま放っておく

放置することを受け入れる理解。


それが私の考える

『受け入れるという理解を示してくれる』です。


勿論私も夫に対して

同じ様に『理解』を示すことが

大切だと感じています。


どんなに親しい間柄の友達でも

相手に理解されないかもしれないと

いう不安は付き纏います。


また

踏み込まれたくない事

まだ整理出来ていない事に 

触れられるのではないかという

怖さもあります。


その不安や怖さのせいで

どんなに辛い時や

苦しい時、心細い時でさえ

その心情を吐き出す事が

出来ない時もあります。


その不安や怖れを

抱かなくてすむ相手であり

理解者が夫であるのです。


これは、あくまでも

私と夫の関係性です。


世間一般の夫婦像とは

もっと距離が近く温かみがある 

関係なのかもしれません。


例えて言うならば

身体を密着して

相手を感じるのではなく

体温が感じるか感じないか程度で

相手の存在を感じる

この距離間が最適であり

私達にとって居心地が良いのです。