心の病を、皆誰でも持ってる。それはいろんな形で本当は自分を守っているのかもしれない。
人は怖い。確かにそうだ。
愛されたい。そうだよね。ぬくもりが欲しい
大切にされたい。うん、もちろんだ。
傷つけた、傷ついた。「もう いいんだよ。それは終わったことだから。」 そう水谷先生は言う
私の中には「私」以外の人格が別に存在する。一つは攻撃的な「私」 もう一人は優しいお姉さん。10歳で止まっている「私」、15歳の「私」
みんなそれぞれに傷がある。10歳の私と15歳の私のことは少し書いた、攻撃的な自死願望を持つ私は別の場所で書いた。
攻撃的でつらさを怒りを溜め込んでいる、死を望む私に出会った・・・というより知ったのは去年の夏。そう 今ごろだ。
完璧な輪郭を描いて現れた。それまで薄っすらと感じていた。彼女を仮に、「すー」としておこう。「すー」はこうして欲しいということをストレートに表現する怒りを初めて人に表した。「私」は本気ではめったに怒らないのだが彼女は代理で本気で怒った。正直「私」ですら驚いた。爆発したとき 彼女は止まらなかった。止めようが無かった。
自分に向いたとき。それは狂気でしかない。向かい合わせに生と死を見るように。少ししてから 私は受け入れる事にした。すーを無視してもこれは良くないことだと、なんとなくだが考えていた。怒りをもつことは不自然なことじゃないのだと。
「怒り」というのは自分が
こうしたい ああしたかった こうして欲しい ああして欲しかった
という本来は望みなのだから、それを知ることはいつかは必要になる。本音を知るために必要なことだから
同じことで「悲しい気持ち」は自分を大切にしたい気持ちだから ガマンせずに泣いてしまえばいい。
それでいいんだと 思う。
人は本来不安定なものだから。
感情をコントロールしてやろうなんて思うより 「今こう感じる」事に焦点を当てていけば いつかは無理せずに付き合えるんじゃないのかな?
そうであって欲しいなと この頃思う。
人は怖い。確かにそうだ。
愛されたい。そうだよね。ぬくもりが欲しい
大切にされたい。うん、もちろんだ。
傷つけた、傷ついた。「もう いいんだよ。それは終わったことだから。」 そう水谷先生は言う
私の中には「私」以外の人格が別に存在する。一つは攻撃的な「私」 もう一人は優しいお姉さん。10歳で止まっている「私」、15歳の「私」
みんなそれぞれに傷がある。10歳の私と15歳の私のことは少し書いた、攻撃的な自死願望を持つ私は別の場所で書いた。
攻撃的でつらさを怒りを溜め込んでいる、死を望む私に出会った・・・というより知ったのは去年の夏。そう 今ごろだ。
完璧な輪郭を描いて現れた。それまで薄っすらと感じていた。彼女を仮に、「すー」としておこう。「すー」はこうして欲しいということをストレートに表現する怒りを初めて人に表した。「私」は本気ではめったに怒らないのだが彼女は代理で本気で怒った。正直「私」ですら驚いた。爆発したとき 彼女は止まらなかった。止めようが無かった。
自分に向いたとき。それは狂気でしかない。向かい合わせに生と死を見るように。少ししてから 私は受け入れる事にした。すーを無視してもこれは良くないことだと、なんとなくだが考えていた。怒りをもつことは不自然なことじゃないのだと。
「怒り」というのは自分が
こうしたい ああしたかった こうして欲しい ああして欲しかった
という本来は望みなのだから、それを知ることはいつかは必要になる。本音を知るために必要なことだから
同じことで「悲しい気持ち」は自分を大切にしたい気持ちだから ガマンせずに泣いてしまえばいい。
それでいいんだと 思う。
人は本来不安定なものだから。
感情をコントロールしてやろうなんて思うより 「今こう感じる」事に焦点を当てていけば いつかは無理せずに付き合えるんじゃないのかな?
そうであって欲しいなと この頃思う。