最高裁判所の判事に、○や×をつける国民審査って、なんであんなに地味なんでしょうねえ。こっそり裏通りで、陰湿に行われる感じ。
電通や、犬HKも、ろくに宣伝しないし。
「国民の司法意識を高める。裁判に対して理解を深めさせる」というわけで、裁判員制度を導入したわりには、国民審査の広報は、いまいちですね。
唯一、司法というか、裁判官の実績がチェックできる場なのに。何かやましいことでもあるんでしょうか。私は、全員×をつけようかなあ。最高裁の判事で、裁判員制度に反対している人がいるというはなし、聞いたことないしね。
そういう判事は、「ヒラメ裁判官」というんだってね。
「ヒラメ裁判官」というのは、出世のために上の方ばかり見ていて、司法の独立とか、法律以外に基準を持たない判決という原理原則に無関心な出世主義者の方々をいう、業界用語らしい。目玉がみんな奇形化して、寄っちゃってるのだ。
検判交流というのもあって、検察官と裁判官が行ったり来たりして、ときには囲碁や将棋やカラオケなんかもやったりして懇親を深めるらしい。
おいおい、深めんなよ! ヽ(*'0'*)ツ
つーことは、司法試験合格組の中から、被告に味方する弁護士だけ仲間外れにして、検ちゃんと判ちゃんだけで、仲良しチームになるわけ。そういえば、裁判官と検察官て、法務省から給料もらって、「同じ釜の飯」を食ってるんですね。大発見!
しかし、検察(行政)と、裁判官(司法)って、まったく別次元だよなあ。
国家の構造として、これ、どう見てもおかしくないか?
三権分立じゃなくて、二権癒着じゃないの…。
その昔、ベトちゃんドクちゃんていうのがあったけど、検ちゃんと判ちゃんで、背中合わせのシャム双生児かよ。
裁判員制度って、どう、モノの本を読んでも、裁判官(役人)の「アリバイ」にしか見えないからね。
よりによって、被告の命を左右する「死刑にするかも知れない裁判」だけ、国民を参加させるって、どう考えても、あれ、変でしょ。
もし、「国民の司法意識を高める」のだったら、公害や、環境問題、道路建設などの行政訴訟に市民を参加させた方が、はるかに自然でしょう。
しかし、よりによって、「被告は死刑か、終身刑の可能性の強い殺人事件」の被疑者に限られている。不思議というより、グロテスクです。
菅家さんの足利事件のように
「ひょっとしたら冤罪かも知れない殺人事件に、国民を参加させて、マスコミの盾にしちゃうもんねえ。こんなこと考えつく俺って、さすが頭いいもんねえ。最高裁判所長官だもんねえ」
的な発想が、透けて見えるんですけど。
皆様は、近頃、どうお考えざんしょ。
ちなみに、このシロウト目にも妙ちくりんな制度を推進し、仕上げてしまったのは、最高裁判所長官の竹崎 博允(たけさき ひろのぶ)という人です。
ほんとに、目がヒラメのように寄っちゃってるかどうか、見てみよーぅ!http://senkyo.yahoo.co.jp/judge/2009judge8/