・大学1年長男、中3次男、夫婦の4人家族

・長男、3月下旬より隣県にて一人暮らし



少し前のブログで


「中3次男は塾にとって意味のない存在」


というタイトルで書いたわけだが、


要は「塾にとって意味のない存在=合格実績のコマ以下」という事である。



タイトルの話は大学1年長男の事。


高校、大学受験を終え、改めて振り返ると、対称的な立ち位置だったなぁと思うわけである。



(前回「高校受験」の続き)


【大学受験】  


そもそも、なぜ「合格実績のコマ」に拘る(というか、ひっかかる)のかというと、


少し前に、


受験生やその親とは対称的な立ち位置の方の、こんな内容の記事を読んだからなのだ。



​高校や予備校は、合格実績を作る為に少しでも上の大学を目指させる。

生徒本人の将来を本気で考えてくれる指導は少ない。

故に、合格実績のコマになってはいけない。
その進路指導の中身を見極めろ。


これを読んで


長男はコマにすらなれなかった

(=期待されていない、もしくは見放されていた)


という悲しみ。


だから何?って訳だが、単に私の素直な感情がコレなのである。


思い返せば返す程、高校の三者懇談も、塾の三者懇談も、常に淡々としていた。


そりゃそうだ、


高校も塾も、長男に一切期待していないんだから。


毎回事務的に話は進み、


気のない「この夏休み、頑張れ」


といった類の声援を受け続けた。


当時もわかってはいた、高校や塾にとってはそれが仕事だから、そこまで真剣に考えてくれてはいないって。


しかしバカな私は一方で、


「あまり何も言われないって事はなんとかなるのかな」


とも考えてしまっていたのだ。


今ならハッキリわかる。


あの成績で〇〇大学を志望していた無謀さ。


そして早い段階で「私立」に絞るという選択肢があった事を、今更ながらやや後悔。



受験関係の記事を読むと、どうしても(今となっては不要な)感情が湧き上がってくるのだが、


長男の今通っている大学も、まぁ悪くない。


むしろ、現在お世話になっている准教授は、めちゃくちゃ魅力的なのだ。


(先月、准教授と直接お話ができて、その魅力をヒシヒシ感じた)


今は、長男がその准教授のパワーにうまくなびいていってほしいな、と切に願っている。




大学は課題も多く、時間もかなりかかるらしいが、長男曰く、


「受験勉強の時のあの必死さや辛さがあったから、その辺の忍耐力は役に立っている」


との事。


先の記事を書いた方の別の記事では



​受験のよいところは、結果以上に頑張る事


と述べている。


もう、この一文に救われ、この一文に尽きるのだ。


大学受験がなければ、長男があれほど勉強する事はなかったのだから。


難関大学受験の方々に比べたら勉強量は少ないけど。







今日はウィッグのメンテナンスでショッピングモールへ来ている。


ミスドでひと息。


    (↑かわいい店内)


ドーナツはイースト系が1番スキ。