阪神淡路大震災から28年。


あの日は月組公演の前売り発売日でした。


当時はインターネット販売なんてありませんでしたから、宝塚ファンは発売日に窓口まで買いに行ったのです。

各組のファンがお互いに協力しあう「並び」という独自の文化がありました。

私は月組ファンでしたが、職場の同僚がどうしても休みたいということで出社せねばならず、その日の「並び」には不参加でした。


揺れた時はまだベッドの中で(直前に地鳴りがして目を覚ましました)ガタガタと家具が倒れる音を聞きながら布団を被って耐えていました。

揺れがおさまり、隣の部屋で寝ているはずの両親と弟の気配が無くて、最悪のことを想像した数十秒が、今まで生きてきて経験した恐怖のナンバー1かもしれません。


まあ、既に私より先に起きていた3人は、階下にいたわけなんですがね😅


とにかく家族4人が一緒にいられた時間帯で、すぐに無事が確認てきたのは本当に有り難かったです。

携帯電話も普及してなかった時代、昼間の家族バラバラに過ごしていた時間帯だったら、もっとパニック状態だったでしょう。


とにかく、家族は無事でした。

が、一人暮らしの祖母や親戚は神戸在住です。それからは、祖母を救助に行く父と弟、買い出しに行く母と私とに分かれました。

電話はまったく通じず、目の前のことをするしかありません。


スーパーは在庫を買いに殺到する人々でごった返していました。

今から思えば、スーパーの店員さんたちはあんな混乱の中を出勤されてたんですよね。そして混乱しつつも長蛇の列を真面目に並んでた私たち購入客…日本の秩序はたいしたもんだったな。

買い出しから帰宅すると、自宅一帯がガス漏れで、母とふたりで避難しました。


翌日からはなんとか出社したものの、仕事場はぐちゃぐちゃ。同僚は交通が分断されて来られない。

家に帰ってもガス不通で食べ物は冷たい、お風呂にも入れない…という状態でした。


が、ツラいという感覚は無かったですね。そういう感情は麻痺してたように思います。


3月後半に、乗っていた阪急電車の中から見えたんです。ブルーシートで覆われた崩れた家屋の下から、歪みながらも伸びた桜の木が花を咲かしていて…


それを見て急にグワーッとこみ上げるものがありました。

泣きましたね。


あれから28年。

あの桜は今でも忘れられません。


今でも、道を歩いていても劇場にいても、頭のどこかで「もし揺れたら」を考えています。寝室には物は置けません。

そして、とにかく愛猫を守ることを考えています。