日本のウィスキーの父 | La Vita col GRAPPA

日本のウィスキーの父

先日、あるスコッチウィスキーの本をめくっていたら
故竹鶴政孝氏が、スコットランドの蒸留所でウィスキー造りの勉強中に撮った当時の写真が掲載されていました。

年号を見ると、1910年。
ちょうどいまから100年前です。

竹鶴政孝氏は、日本のウィスキーの父とも呼ばれ、現ニッカウィスキーの創業者。
摂津酒造の社員だった竹鶴氏は、日本での本格的ウィスキー生産を目指すためスコットランドへの留学を命じられ、後に寿屋(現サントリー)の山崎蒸留所の初代所長として日本で初めて本格的なウィスキー造りをすることになります。

その白黒写真は、当時の竹鶴氏がカメラのファインダーを通して見たスコットランドの蒸留所や周辺の風景が写っています。
彼はどんな気持ちでこの風景を眺めていたんだろう。
100年後の今、名だたる国際的なウィスキーやスピリッツのコンクールで優勝するまで成長を遂げた日本のウィスキーの姿を想像していただろうか。
そんなことを考えながら、その白黒写真を眺めていました。

竹鶴氏がグラッパを飲んだことがあるのかは知る由もありませんが、洋酒に人一倍興味を持って研究していた方なので、一度は口にしたこともあったのではないかと思っています。
今から100年後、グラッパという酒が国際コンクールで優勝することはないと思いますが、
日本産のグラッパ(その頃はpomace brandyと呼ばれているかも)が、本国イタリアを凌ぐほどに個性を発揮できる酒として成長していたら面白いな、と思うのでした。

あ、その頃にはますますハードリカー離れが進んでだれもグラッパ飲んでなかったりして・・・?