先日、知り合いのマダムから
「いま習っている書道教室を辞めたいと先生に言ったのだけど、
『せっかく続けてきたのを辞めてしまったら勿体ないから』と引き留められた。
結局続ける事にしたのだけど、修行モードになっていて辛い」
とのご相談を受けまして。
聞くところによると
ずーっとコツコツと九成宮醴泉銘(楷書の最高傑作と言われる古典)を書いているそうで、
崩した文字はあまり好きではないとのこと。
「何故、書道を習っているのですか?」
と質問すると、
「こんなふうにキチンとした楷書が書きたいから」
と言って、たまたま手元にあった印刷された字(明朝体?)を指差した。
印刷された字は確かに整然と並んでいて、キチンとしていた。
「今はまだ、ご自身ではキチンと書けていないと思ってらっしゃるのですか?」
と聞くと、
「九成宮は全部書き終えて先生からも一旦はOKを頂いたのだけど、
まだまだ完璧ではないので…」
「楷書を完璧に書けるようになりたいということですか?」
「・・・」
・
『完璧』という響きはとても魅力的だが、時に使い方によっては意味合いが大きく変わってしまうことがある。(言葉の定義というのは難しい)
私たちは既に完璧なのであって、
努力して完璧に「なる」のではない。
かと言って
『初めから完璧なら努力しなくていいじゃん』ってわけではなく。
既に完璧な私たちが
あらかじめ与えられているものを最大限に活かす為に、
必要な努力なり鍛錬があるのだと思う。
私が今まで出会ってきた生徒さん達の中で、整った楷書を書くことに強くこだわる方にはある共通点があった。
先ほどのマダムにも、同じものを感じたのでしばらく質問したあとに感じたことをお話した。
すると
「私、やっぱり辞めます」。
スッキリとした表情でそう言った。
(彼女の書道教室の先生、、ごめんなさい)
・
ふと思い返してみると、
私は今まで自分の教室の生徒さんで辞めたいと仰られる方を引き留めたことがない。
それが正解なのかどうか、私には分からない。
もちろん寂しい氣持ちにはなるが、
辞めたからといってこれまでの習ってくださっていた時間が無駄になることは絶対にないという確信があるので、
その方の人生がより輝くことを願って快く送り出したいといつも思っている。
大切なのは、
何をやるか?よりも
何故やるか?
自分にしろ他の人にしろ、
やっている事よりも
その動機を見るようにしているから
だから私も
まずは動機が第一で、
書道は後からついてきた
それだけのこと。
能力主義でもなく
他人からの評価や与えられる肩書きのためでもなく
〝既に完璧な存在〟として生きる。
そのことと真摯に向き合ってたら
たまたま私の場合は書道(文字)に辿り着いて今がある、という感じ。
長くなったけど、
改めて諸々考えさせてもらえる良い機会をもらったので残しておこ。
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