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~長良川交通公園~
金華山の東北山麓、鵜飼い大橋付近にある打ちっ放しゴルフ練習場の場所にかつて長良川交通公園プール(昭和四十二年)があった。屋外流水プールやジャンボ滑り台、なかでもパンダプールは子どもたちに大人気で列をなして滑る順番を待った。
冬はプールの水を凍結させスケートリンクとしても営業するなど当時、最先端の設備を備えていた。県外からも観光バスが集まるほどの全国でも屈指のレジャー施設であった。
平成十一年、プール兼スケート場は惜しまれつつ閉鎖となりました。今後、再開発にともなう新たなビッグプロジェクトが展開されることが期待されています。
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40代以上の岐阜市民は懐かしいと思わず叫ぶ。
流れるプール、ジャンプすべり台。
まだ、ウォータースライダーとかしゃれた言葉がなかった時代です。
東海地区の子どもたちは流れるプールと呼び、とてつもないわくわくを感じていました。
今で言うとUSJのような魅力的なテーマパークでした。
そんな長良川交通公園をウラキンカザンダヨリに掲載するためにいろいろと当時の事を調べてみました。
そして、水道山プラネタリウムと同様、詳しい情報がなかなか見つけられないんです!
まず、写真がない。年配の方ならだれでも知っているのに写真となるとないんです。
誰もが、写真撮ったと思うけどアルバム引っ張り出さないと分からないとか。
鮮やかな記憶があるのに肝心の写真がホント見つけるの大変でした。パンダプールの写真もネットで探しても
ぐらいしか見つかりません。
そこで大本に取材に行きました。
そう、株式会社長良川交通公園。
今はもう閉鎖されましたが同経営でコウエンボウルというボウリング場がありました。
そこが本社でしてそこの支配人に当時の写真をいろいろお借りしました。
詳しくはウラキンカザンダヨリを読んでいただくとして
かいつまんで話すと、
まず、この長良川交通公園ってなんで交通?って思いますよね。
この公園、もともとはプールやスケートはありませんでした。
最初はヘルスセンターを作る予定だったみたいですけど
なぜか、ゴーカードなど乗り物で交通規則を学ぶ交通公園になったそうです。
昭和34年頃、高度成長時代で全国の交通事故が多発していて交通規則の啓蒙活動として始められたとか。
そして会社もそのノリで株式会社長良川交通公園としたんだと。
その後、ゴーカードとか乗り物だけだと採算がとれないということで
夏場にプールを始めたところ大当たり。その後、流れるプール、パンダプールやジャンボ滑り台、冬はスケートリンクで岐阜の観光史に金字塔を打ち立てました。
その後、この会社「マンモス」というホームセンターも始め、それがまた当たり相当儲かってたみたいです。
ホームセンターを経営する会社が株式会社長良川交通公園というのもなかなかシュールです。
※25号の主な設置場所※現在と違う場合があります。
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