金華山だより春号VOL.24
はじまりの岐阜公園

1-2●目次 はじまりの岐阜公園

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はじまりの岐阜公園

 今はポケモンGOのポケストップとして話題の金華山の西山麓にある岐阜公園、その歴史は古い。
 明治15年に開園した岐阜公園(当時は丸山公園)は当初はあまり人気がなく開発もむなしく数年後には再びひとけの無い草むらになってしまっていたようです。
 明治37年京町から名和昆虫研究所が移転したのをきっかけに明治41年岐阜武徳殿、明治43年には金華山山頂に模擬天守も建設され、再び岐阜公園に賑わいが戻ることになりました。
 それからも昭和11年躍進大博覧会(3月~5月)の開催、昭和30年頃から金華山ロープウエーの開業をかわきりに岐阜城の再建、動物園、淡水魚水族館、児童科学館、県立図書館など立て続けに作られ、※昭和60年に岐阜市歴史博物館が開館し、昭和30年からの金華山総合開発計画の区切りがつきました。
 このようにいつの時代も岐阜公園は文化の始まりを担ってきました。そう、岐阜公園は「はじまりの公園」なのです。

 

絵:明治43年頃の岐阜公園

 

※動物園・淡水魚水族館:平成11年閉館・岐阜県立図書館:岐阜市宇佐に移転・児童科学館:岐阜市科学館 岐阜市本荘に移転
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目次
はじまりの岐阜公園    3-4
金華山の植物    5
金華山の動物    6
登山道マップ    7-8
連載漫画 金華登65歳    9
裏金華山だより出版のお知らせ    10
連載漫画 お城ロボ    11
登山道で出会いました!    12
金華山アーカイブ(岐阜公園)    13-14
金華山info    15

 

3-4●はじまりの岐阜公園

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 金華山の西側山麓、岐阜市大宮町千畳敷一帯に岐阜公園があります。
 その場所は斉藤道三が美濃を治めるようになる一五五〇年頃までは単なる林だったようです。
 運輸の要となる長良川を重要視した道三は朝日の当たらない金華山西面山麓に街づくりをはじめました。
 道三は長良川流域の豊富な商材流通を活用して合理的な商業都市をめざしたのです。それは後の信長時代にもさらに拡張して引き継がれ当時、岐阜町は大変な賑わいだったようです。千畳敷あたりも豪華絢爛な信長居館や庭園など作られていたことが当時岐阜に滞在していたルイス・フロイスの書簡に記されています。
 しかし、一六〇〇年関ヶ原の戦い以後、千畳敷あたりの主だった建造物はすべて加納城へ移築されてしまいました。さらに金華山全体は幕府直轄の御料地として以後約三百年間、立入を厳しく管理され、庶民には縁の無い場所となってしまいました。


絵 昭和11年 躍進日本大博覧会
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 その地が再び庶民に開放されたのは明治十年、岐阜中教院の建設をきかっけに丸山公園として整備され始め、明治二十一年岐阜公園として本格的に開発されはじめました。
 大正に入ると大正天皇即位記念として三重の塔が建設(大正五年)され、同時にその周辺もさらに充実した公園整備がすすめられました。
 昭和十一年躍進日本大博覧会が岐阜公園一帯で開催され岐阜公園はかつてないほどに大々的に開発整備されました。
 その後も岐阜公園は常に市民の憩いの場となり岐阜の観光の中心地として存在しつづけています。 P13につづく

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