先日、ちょっと旦那と不穏な空気になりました。
そもそもかなり考え方が違うのですが、年月と共にエネルギーを温存しようとお互い受け流す事が多かったので久々です😅
きっかけは、TVニュースに突っこみを入れていた私が、なんとなく目に入った旦那に対して「聞いてる?」と言ってしまった事でした。
前者後者説で言うと後者と思われる旦那は、自称「人ギライ」で、前者(私です)が無意識に繋がろうとする言動をとてもいやがります。
その時も、旦那の視線の先を勝手に深読みした私(これも無自覚)にご立腹したのでした。
推測なのですが、「つながり」が当たり前と思っている前者的感覚でつい放つ態度が、人の領域を犯してくる侵略行為に思えるようです。
ある程度お互いガルガル言った後で、クールダウンしてきた旦那が
「揉めたら揉めたままの時があってもいい」
と言った言葉が衝撃的すぎました🙀⚡️
そうなの⁇
え、だって目の前の問題は解決しないといけないんじゃないの?
と、もはや理由すら自覚できないくらい自分の心が信じ込んでいたので、カルチャーショックが大きかったんですよね。
だって
学生時代、試験問題は解かなくちゃ終わらないし。
給食は食べ終わらないと片せないし。
みたいな💦
だから、
人と意見や要望が食い違ったとき
お互いに歩み寄る事が出来ないならば
どちらかが譲るか我慢するか妥協するかして、
その場を収めるある種の答え(結果)を出さなければならない、というのが
自分の中での常識になっていたんです。
だってそうじゃなくちゃ終わらないじゃん!って。
旦那は
「別に終わらせて収める必要なんてない」
「主張が違うまま、お互いがプンスカして終わってもいい」
というのです。
そうなのーー?!
考えた事もなかった選択肢。
それで無理に修復しなくても、結果的に修復出来ない状況になってもソレはソレと。
言われてみればそりゃそーだよなと思うのに、自分の中では何とか収集をつける方向に動かねば、と自動的に思ってたんだなと気づきました。
結婚生活って、維持する事を前提として営むもんだと疑いもなく信じてました。
でもそれは、結果論として続いたという事でもいいんだな。
どちらかが先に天国に向かう時に「あー結局添い遂げたな」みたいな事でもいいんだな。
よく考えたら、それはそれで当然か。
しかし、こんなに違うんだ〜😵
見てる角度が違うから、景色も全然違って見える。
あらためて、前者後者論の奥深さを実感すると共に、結婚当初はこうして私が旦那の考えを聞こうとするのさえ「不可侵条約」を振りかざしてくるような勢いだったので、年月の積み重ねを感じられた興味深いやりとりでした。