息子と私はふたりともいわゆる発達凸凹傾向があり、会話に主語がないことがままあります。
2人の間ではそれ自体はあるあるなので特に気にせず話が進みますが、旦那からのダメ出しはよく入ります(笑)
この場合、主語が省略されるのは自分の頭の中ではわかりきっている事を話すので、つい人に優しくない短文になってしまうのかなと自己分析しています。
「主語」で思ったのが人生での主語(いきなりスケールが拡大😅)
よく言う「他人軸」な生き方にいつの間にやらドップリ浸かっていると、
「だれ」がそれ思ってるの❓
「だれ」がしたいことなの❓
てことよくあります(私です💦)。
でも本人は気づかない部分にまで浸透しているので、知らぬ間に完全に主語を「乗っとられて」いたりします。
一度それに気づいて
丁寧に分解していくと、自分じゃない誰か
(たいてい"世間"とか、"身近にいたあの人"とか)の目線を発見できます。
主語を私自身に戻すことで、私の中の人が喜んでるのを感じます。
会話の主語のなさはある意味「ジコチュー」ゆえなのですが、生きる上での主語は「ジコチュー」上等💪だと思います😆
主語ってだいじ❗️