トトロをみました。


風景の美しさ、

ゆったり流れる時間、

各々の充実、

他者をジャッジせず流すけど認めてる人間模様にほっこりしました。








こんばんは。藻塩です。




私は作品ではなく、

身近な人からの影響を受けやすいので人を対象に物事を見聞き考える癖があるのですが、

今日は作品の、そこにあるという優しさに癒されました。


しかしやっぱりメイがいなくなった時はドキドキします。


ああ怖い。

みんな怖かったねえ。

余裕ある草壁夫婦。まさかこんなことになっているとは。


みんな肝が据わっているなあって思うけれど、当時はやっぱり不便さがあって持ちつ持たれつだったのね。


やっぱり人間模様は気になります。


一方で怖いを沢山味わうから肝が据わるんだな。


体験ってだいじ。










私は怖さを味わいたくなくって避ける傾向にあります。


学問や時間や何かの責にすることを心の支えとして、なんとか回避しようとしますが、


やー…その時期は、きっと過ぎ去ったね。


自分で決めるということは、自分に軽い責を持つということだ。


責任を重苦しく考えすぎないのは、いいな。












先日、心理学系研究の再現性の低さに着目したnote記事をTwitterで読み、

支えにしても良いけれど全てが正しいわけではないんだよねえー

(そして再現性がないからといって正しくないわけでもない←こういうTwitter投稿を誰かしてて納得した)

と、一歩引くことができました。


最近あった研修で、私含め、皆が何かに焦っている現状を感じ、

わからないなりにわかるように伝える重要さを感じました。


相手に届けるものは、作品だね。


今日はトトロという、

受け入れられる癒される作品を見て、


私の身近にあった最近の出来事は、

みすゞの「みんな違ってみんないい」だわあ…って思いました。まる。


しかし2日前久々に炎天下で早歩き、ドバッと汗をかいて、ヘロヘロな今日。


生きるっていうことはなんというか発見の連続ですね。


辛いけれど心地よい疲労。


辛く寂しく悲しいを感じ易い夏のおわりの夜。











養老孟司著、「ヒトの壁」を読んでいます。


頭に入ってこない部分もあるけれど、生きるってなんじゃろなって思える良書です。


忘れているというか

自覚なく生きてたけど、


そうか、生きるということは結果として努力が伴うのだよねえって思いながら読み進めています。


努力は私、

若い頃はすごく嫌いな言葉だったんですが、

この言葉もそんな重く捉えなくていいんだなあ…。


努力はしちゃうもの、

動いてたらできちゃうもの、

大きなエネルギーの努力は、苦手なことや初めてのこと。




何に「だけ」、フォーカスしてたのだろう。




研修で、SNSによって表現の場は沢山得られるようになったので、

自己表現の場が分散することで、無意識のうちに表出していた自己表現(事象)が見えづらくなることを間接的に教えてもらいました。


分散して表現できるのは良いことだなあと思う反面、

多様な支援を、受け易いのに受けにくくもなっているのかもしれないなとも思います。


「だけ」に陥り易いのかもしれないねえ。


鷹揚と、いろんな世界に触れたいね。


とりあえずもうちょっと若い頃に、こう、鷹揚と広く体感したかったことを、今、味わえています。


でもこの夏の終わりの寂しさなんて、この歳じゃないとわかんないよな。


生きるとは瞬間瞬間に感じ考え身体を動かし選択し趣き味わうことだなあ。今の結論。夏の終わり。