現ソフトバンクホークス監督である。

福岡で育ったのでライオンズのファンであった。
親父が西鉄ライオンズが好きだったので、たまに平和台球場に
連れて行ってもらった。
私が野球に物心付く前には西鉄ライオンズはなくなっていたので
太平洋クラブライオンズの頃からの記憶である。

テレビでは巨人戦ばかりしかやらないので、ラジオで試合を
聞くことが多かったが、ごく稀にライオンズの試合がテレビで
あるとテンションが上がったものである。

クラウンライターライオンズになるころには、プロ野球ニュースで
試合の映像を見るようになった。もちろん佐々木信也である。
夜は眠くて見れないので、翌朝の再放送を見た。

ライオンズが所沢に行ってしまったのは淋しかったが、
平和台での試合も多く組まれたので、その後も西武ライオンズを
応援し続けた。

秋山選手は1軍に定着するや、いきなり40本のホームランを打つ。
その弾丸ライナーの軌道と身体能力に魅了された。
ご存知バク宙もその魅力のひとつである。
清原選手、デストラーデ選手とともに、西武の黄金時代を駆け抜ける。

一方福岡には南海ホークスがダイエーホークスとしてやってきた。
地元に来てくれたホークスも気になるが依然として秋山選手がいる
ライオンズを応援していた。

転機は世紀の大トレードと言われた、3対3のトレードである。
ホークスの佐々木、村田、橋本とライオンズの秋山、渡辺智、内山という
それぞれのチームの主力であった選手同士のトレードである。
これで、私は完全にホークスのファンに寝返った

ホークスに来てからの秋山選手は、ライオンズ時代のように
ホームランを量産することはなくなったし、
「働け秋山!」と野次られることもままあったようである。
しかし西武黄金時代を知る一人として、同じく西武から移籍した
工藤投手とともに、弱小球団の意識を少しずつ変えていってくれた。

99年のダイエーホークス日本一は、その賜物であろう。
完全にホークスファンとなっていた私は、リーグ優勝の瞬間は
福岡ドームで歓喜の輪の中にいた。

秋山選手は、その後2軍監督、コーチを経て、現在はホークスの監督である。
インタビューではぼそぼそとアラビア語を喋るので
聞き取りづらいと言われることもあるが、ご愛嬌である。

今日パリーグのクライマックスシリーズ、ファイナルステージが始まった。
ホークスはご存知の通りクライマックスシリーズでことごとく敗退している。
今年こそは、久々に日本シリーズに進出して欲しいものである。