こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

百日紅(さるすべり)の花が咲いています。

 

夾竹桃とともに、夏の赤い花です。

 

この夏も、美しく咲いてくれてありがとう。

 

 

本日プロセスのおはなしです。

 

 

八月のピアノのレッスンに行ったぶどうさん。

 

たまたまお盆休み中の夫がいたため、車で送ってもらえることになった。

 

なにしろ師匠のお宅は、山の上。

 

毎夏大汗を書いて歩いていくのだが、これがなかなかしんどい。

 

年を取ったらバスで行こう!と決めていたものの、バス路線の廃止により最寄りのバス停がなくなって久しい。

 

よって普段は歩いていくしかない。

 

その日も猛暑日で、送ってもらえたのはありがたかった。

 

朝っぱらから犬と夫の世話で忙しくはあったものの、体力消耗だけは抑えられたようで、珍しく課題が二つもクリアした。

 

ツェルニー40番と、バッハの平均律の一曲と。

 

行き掛けにどんだけ体力を使っているのだろう(笑)

 

思いがけないクリアは嬉しかったが、ちょっと問題もある。

 

もうすぐ弾きあい会や合同練習会、来月には発表会が控えている。

 

のんびりと譜読みをする時間がない(ブログ書いてるのに・・)

 

特にバッハは時間がかかる。

 

数か月単位でやるものなので(ぶどうさんがトロイから)、おいそれとは両手で弾けない。

 

簡単なものから始めた平均律1巻は、ややこしいものばかりが残っている。

 

はあ、時間がない。

 

長いお盆休みでさらにピアノを弾く時間がない。

 

新しく平均律に取り組むときが一番ストレス度が高い。

 

まず、声部ごとに弾き、声部を合わせて弾き、両手で弾き・・・なので手間と時間がかかる。

 

レッスンまでにどこまでできるだろうと、焦る気持ちが強くもなる。(今ここ)

 

毎回この繰り返しだ。

 

でも不思議と、平均律をやめたいとは思わなくなった。

 

弾けないととてもストレス度が高いのだが、少しずつ弾けるようになるとものすごく楽しくなる。

 

というか、ほぼ中毒。

 

とくにフーガが好きだ。

 

やってる感がある。

 

うまく弾けても弾けなくても、なんだか楽しい。

 

ピアノを弾いていて楽しいと思ったことはなかったと以前言ったことがあるが、そういえば、ある瞬間、楽しいと思えるときがあるのに気が付いた。

 

練習のプロセス、だ。

 

残念ながらへぼいので、どの曲もきれいには仕上がらないぶどうさん。

 

そして、どんなに練習しても時間が経てばすぐに弾けなくなる。

 

だからピアノを弾けるなんて人様には絶対に言えないし、人前でさらりとピアノを弾くなんて夢のまた夢なんだけど・・・。

 

そこにこだわらなくてもいいんじゃないかと思えてきた。

 

目的は、人それぞれ。

 

ピアノを弾ける自分、美しく曲を披露できる自分、賞をもらえるほどの腕前。

 

それはさっさと諦めて、もっと違う楽しみのため、違う味わいのためにピアノを弾いていいのではないかと思えてきた。

 

新しく挑戦する平均律の曲は、一つの声部さえまだ弾けてはいない(もう1週間以上経つんですけどね…)。

 

格闘はじめのゴングが鳴った状態ではあるけれど、片手ずつ、両手で、続けて弾けるようになったら、お楽しみの始まりだ。

 

そして滑らかに弾けるようになったとき、完ぺきではないにせよ、ああ楽しいなあと思える時が来る。

 

それで、十分じゃない?

 

自分に合わない高望みばかりして苦しいだけのピアノ。

 

どこに楽しさを感じるかわかったので、人前で弾けるとか、完ぺきに弾けるとか、そんなのはどうでもいい気がしてきた。

 

そもそも、上手に弾けたところで何にもならないのだもの。

 

もっと楽しくやった方がいい。

 

結局は自分との戦いであり折り合いであり、自己満足の世界でしかないのだ。

 

そうとなれば、弾きあい会も発表会もあんまり怖くはなくなってきた。

 

ぶどうごとき、やれることをやればいいだけなのだし。

 

見方を変えれば、それらは一時的な到達点を目指すものだが、プロセスでもある。

 

楽しまなくちゃ?

 

今まで到達点にばかりこだわってできない自分を責めてきたが、プロセスに焦点を当てると、違う境地になってきた。

 

上手に弾くばかりが、ピアノを弾く目的ではない。

 

・・・と、言い訳をしてへたくそなピアノを弾き続けることを肯定したいぶどうであった。