こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

ちいさな鉢植えの、ブルーベリーの木が実を付けました。

 

一つ二つしか取れず、もっぱらワンコのおやつ。

 

そんな楽しみもまた、うれしいものです。

 

 

本日ピアノを弾くことのお話です。

 

 

 

子犬に振り回されて、ピアノの練習がおろそかになっているぶどうさん。

 

それなのに、空き時間についついyoutubeを眺めてしまう。

 

主に犬のしつけ関係の動画をみるのだが、そのときおすすめの中にピアノ関係の動画が上がっていた。

 

吸い寄せられるように動画を見て(もちろん倍速!)再び疑問が沸いた。

 

その疑問とは、なぜピアノを弾くのかということ。

 

ピアノを再開して、秋で丸5年になろうとしている。

 

再開する前、そしてレッスンを始めた後から今までずっと自問自答してきたことだ。

 

着地点は、いつもきまっている。

 

一つはピアノの音が好きだから。

 

もう一つが、出来なかったことができるようになる喜びがあるから。

 

ピアノの一音でさえ心に響く癒しであるし、前進している自分を肯定したいのだと思う。

 

結局は自分のためであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 

人と比べるものではないのである。

 

それは重々承知なのに、悲しいかなやっぱり人と比べてしまう。

 

自分は井の中の蛙のままでいるのに、ピアノを弾く人は人前で演奏するために弾いている。

 

ピアノと向かい合うのに正解も間違いもないだろうが、おそらく、ぶどうさんのやり方は正しくはない。

 

なぜなら、ただ音を鳴らすことと演奏は違うものだから。

 

演奏は、聞く人がいて成り立つものだ。

 

演奏して初めて音楽となるのだろう。

 

ピアノの曲は物語であり流れであるので、鳴らすだけではだめで、演奏することで形になって伝えられるのだろう。(しらんけど。)

 

つまりピアノ曲とは、自己満で終わりでなく、演奏して誰かに聞かせるためのものだ。

 

少なくともピアノ動画の中の人たちは、演奏するために弾いていた。

 

というより、人前で弾くこと前提もしくは弾くのが好きという理由だった。

 

改めてピアノを弾く方々の発信をみると、演奏するためにピアノを頑張っている方ばかり。

 

やっぱり間違っていたのかなあと、どんよりしてしまった。

 

現在のぶどうさんは、犬を迎えて練習時間が減り、レッスンの課題がクリアできず四苦八苦している中で発表会の曲に集中できていないスランプ状態。

 

ピアノのレッスンに対する姿勢に迷いが生じてしまった。

 

1年の集大成というほどのエネルギーを注いでいる、同じ教室の方にくらべてなんとだらしないことかというのもある。


生涯学習は誰かと比べるものではないし、目的ややり方は違っていいのだけれど。

 

中途半端なままどんどん道を進んでは、あとで自分を見失うことだろう。

 

一体何をしたくて何をしないのか。

 

今は、いろんな曲をたくさん弾いてみたいけど人前でピアノを弾きたくない。

 

ずっと変わらない、この気持ち。

 

低すぎる自己肯定感からくる気持ちを根底から覆さないと、この先何年もつまらない疑問をかかえつづけるのだろうなあ。

 

違う気持ちになる日が来るんだろうか。

 

そうなったとしても、ピアノ弾けますって言える日が来るとは思えない。

 

躓くたびの、例のやめる辞める詐欺にだけは飲み込まれないよう気を付けよう。

 

とりあえずハノンが終わるまでは続けると宣言したのだし。

 

頑張ろう。。

 

アラカンとなり、理由なんていらないはずの生涯学習位置づけのピアノ。

 

プロアマ問わずピアニストになれるわけでもピアノの先生になるわけでもない。

 

老後の趣味にしては、ピアノって場所も時間もコストもかかる。

 

案外覚悟がいる趣味だ。

 

それでも弾く理由を探すぶどうであった。