こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

今朝、大小の食品ラップが同時に空になりました。

 

どちらも50m巻き、幅違いを使い分けています。

 

使う長さも頻度も違うのに、面白いなあと笑ってしまいました。

 

小さな出来事を面白がっていくと、今日も一日楽しくなりますよ。

 

 

本日聞こえなければ聞こえないのお話です。

 

 

久しぶりにピアノのレッスンに行ったぶどうさん。

 

ケガして引っ越してと、まともにピアノを弾ける状況になかったのでしばらくお休みしていた。

 

1か月近く弾かなかった指は、すっかり鈍り、動かなくなっていた。

 

一からやり直しである。

 

大人ピアノを中断すると元に戻るのが早いということを、身をもって体験した。

 

ほぼほぼ弾けないことはわかっているので、レッスンには開き直りの境地で出かけた。

 

ハノンを落とすわけにはいかないがそれ以外は先に進めるとは思えなかったので、むしろ気が楽である。

 

1か月半ぶりのレッスンは、相変わらずだった。

 

ツェルニーは、前回指摘されたことと同じだった。

 

つまり、1か月半何やっていたの、の前進なき出来栄えだったのである。

 

指摘されたこととは、左手問題。

 

p(ピアノ)のときの打鍵の仕方と、指定された音符分をきちんと弾くこと。

 

バッハは、自宅ではまだ片手ずつ弾いている状態のフーガをヨロヨロと両手で弾いた。

 

苦手な箇所がいくつかあったので、その小節だけ一所懸命練習していった。

 

練習しただけあって、なんとかクリアした。

 

ところが。

 

弾き終わったとたん、〇〇小節と〇〇小節の部分を声部ごと、2つの声部で

、それぞれ弾いてと言われた。

 

ぐちゃぐちゃすぎて何を弾いているかわからないわ、と・・・・・・

 

苦手な部分だけをズバリ言われてしまった。

 

胡麻化してとりつくろっても、お師匠はお見通しだったのである。

 

一応練習はしているところだったから、ショックはショックだった。

 

でも、言われるとおりだとも思う。

 

弾いていてテーマが聞こえなければ、他人が聞いても聞こえないのは当たり前だ。

 

バッハに限らず、どんな曲もそうだ。

 

聞こえなければ、聞こえない。

 

指摘された箇所を弾いたところでその場で直すことはできず、次回までに練習してきま~すでお茶を濁した。

 

バッハの場合声部の弾き分けだが、いろんな曲の場合も弾きこんで自分で聞けるようにならないと演奏とはいえない。

 

自分の音、音楽を聞く。

 

簡単なようでかなり難しい。

 

弾いている人がわからないのに、聞いている人にわかってよっていうのはわがままってものか。

 

発表会だけでなく、普段の練習、レッスンでも、出している音や音楽を聞けるようにならないとなあと思うぶどうであった。