こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
バナナが安かったので買いました。
見た目が気になりはしましたが、大丈夫だろうと・・。
予想に反し全然大丈夫ではなかったです。
バナナだけは見た目ですな。気をつけよう。
本日鳩、らしいのお話です。
年内最後のレッスンに向けピアノの練習をしているぶどうさん。
発表会の後からやっているのに、なかなか仕上がらない。
4か月も停滞した曲が年内終わるのか、あやしい。
停滞しているのは平均律1-16とベートーベンソナタの10番一楽章。
レッスンのたび違う個所を発掘され、同じ個所も指摘されやり直しの繰りかえし。
永遠に終わりそうにない。
弾く速度が遅いのが大きな要因だが、他をどうしたらいいのか全然わからない。
できないところは、できないまま。
レッスンに行く意味があるのかわからない人の代表だ。
うまいこと年内に仕上がったら来年からは先日決めた新しい曲になる。
いつか弾いてみたい曲の一つではあったが、優先順位は低い曲だ。
え、今弾くの?って感じ。
しかも、もともとは発表会に弾きたい曲ではない。
ところがお師匠はこれを発表会の曲にと考えている模様。
なぜなら、誰も弾きたいと言っていないから。
過去3回の発表会で弾いた人はいないし、実際弾いている人を見たことがない曲でもある。
派手ではない曲だからだろうか?
今の教室では発表会の曲は早いもの順で、言ったもん勝ちのようだ。
また、時間のない学生さんで上手な子にはレベルに応じて弾いてもらいたい曲があるようで、早めに決まっているようだった。
大人の事情、暗黙の了解、・・・・わかる。わかるよ!
方向性の決まった人は弾きたい曲が明確で、次はこれってすぐいえる。
上手な子には、肥やしになるように勉強になる曲を選ぶのも。
断っておくがお師匠はえこひいきはしないし、えり好みもしないし、案外さっぱり平等に物事をとらえてくれる。
というので、ここからはぶどうさんの劣等感のせいで感じること。
愚痴に近いので嫌な方はスルーください。
レベルにあった弾きたい曲がない、知らないというはぶどうさんが悪い。
でも憧れの曲は、ある。それが選べないのは悲しい。
へたくそは選んじゃダメって感じで情けない。
いい曲は上手な子が弾くというのも、過去の嫌な思い出につながり悲しい気持ちになった。
ぶどうさんが中学か高校生頃のころ。
全然練習せずダラダラピアノを続けていたので、ソナチネを弾いていた。
練習しないから暗譜ができず、進まなかったのだ。
発表会には参加したくなかったが、先生がこの曲どう?と渡してくれた。
誰も弾く人がいないから、どうかなと。
その曲はラ・パロマ。
オクターブが続くので、小さな子は弾けない。
思いっきり初級の曲で、全音ではAランク。
オクターブが届くくらいの大きい子で、ピアノが初級の子というので選ばれたみたいだった。
買ったのに楽譜が余ったのだろうか。
当時のピアノ発表会では見当たらない、なじみのない曲名とリズム、発表会受けしない選曲。
その同じ発表会では幼馴染が子犬のワルツを弾いていた。
子犬のワルツはCランクで、ずいぶん差が付いたものだなあと情けなかった。
練習してこない子、万年へたくそな子はそういう存在なのだと思った。
時を経て、同じ気分を味わっている。
今は練習はまじめにしている。
練習するのに、へたくそだ。
弾いてみたい曲リストをお師匠に見てはもらったが、挑戦するかは聞かれなかった。
やっぱり、そういう存在。
まあでも。
今思えば、昔のピアノの先生は、もしかしたら初級の曲とわからない、ちょっとは映えそうな曲をと必死に探してくれたのかもしれない。
大きな子なのにあんな簡単なの弾いてるなんてわからないように、その子の自尊心を傷つけないようにというのであのセリフを言ったのかもしれない。
確かめようはないけれど、そう考えると気休めにはなる。
ラ・パロマ。
意味は鳩、らしい。
楽譜はとうの昔に捨ててしまった。
昔と違い練習しても上達せず、来年の発表会の曲えらびで嫌な思い出がよみがえったぶどうさん。
改めて思い出と向き合ってみれば、先生にもいろんな気持ちがあったのかなと思えてきた。
残念ながらこの世界は努力したもの勝ちではなく、才能のあるもの勝ちだ。
自分がどんな才能をもっているのかよくよく考えてわきまえれば、よりよく生き抜けるのかもしれない。
ピアノの才能はないが、忘れっぽさと都合よく解釈して心身を守る才能はある。
この才能があれば、100歳までなんとか明るく元気に生きていけるに違いないと思うぶどうであった。