こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
寝起きに寝室を出ようとして、壁の角に顔面をぶつけました。
痛かったけど、縦に筋が入らなくてよかった・・。
寝室に凸凹のある部屋はだめですね。
皆様もお気を付けを。
本日同門のおはなしです。
3年前からふたたびピアノを習い始めたぶどうさん。
今のお師匠さんは、昔のピアノ関係の知り合いだ。
3年前にお師匠になってもらってから、呼び名を「さん付け」から「先生付け」に変えた。
これは内緒だが、夫との会話では相変わらずさん付けなのだけど。
子供のころから通算して5人目の先生だ。
5人も変わった理由は、堪え性がなく続かなかったせいだ。
大人になってからの先生は、全部で3人。
今になって思えば三人三様。
ある意味あたりまえで、日本中の教室の数だけやり方はあるのだろう。
ところで先日お師匠にピアノ購入の相談をした。
検討しているピアノの一つを実際に使っている方を知っているとのことで教えてもらい、連絡を取り合えることになった。
その方は同じ教室のピアノ仲間であり、面識はある。
お師匠から、その方のお宅に弾きに行かせてもらったら?と言われたが、さすがにド厚かましいと思い遠慮した。
するとお師匠。
同門なんだし、いいんじゃない?とおっしゃる。
同門?
意味は分かるが、すごく違和感のある言葉に一瞬戸惑った。
なぜなら、その方とぶどうさんは、立場が違うから。
ぶどうさんは、素人の趣味程度のもの。
けれどその方は、ぶどうさんよりずっと若いけれど子供のころから師匠についていて音楽の専門の勉強をしていて今は音楽教室をしている。
ぶどうさんは年齢はかな~り行っており人生の失敗の経験は豊富だが、ピアノや音楽に関してはその方と同じ土俵に登れない。
それを同門の一言で片づけてしまった!
お師匠の門下に入って4年めのひよっこと、ピアノの先生よ?
これって音楽業界あるあるなの?
なんだか腑に落ちなかった。
過去に習った4人の先生方とは、距離の近い話などほとんどしたことはない。
昭和の先生スタイルだったから、というのはあるが、もしかしてぶどうさんが浮いていたからだろうか。
子供のころは別として、大人になって習い始めた30年近く前は、今ほど大人のための教室は盛んではなかった。
大人だし、趣味だから、好きに弾いていいっていう感じ。
細かいことはス〇ップ参加時以外で言われた記憶がない。
今のお師匠は、よく言えば大人の学習者への諦め感がなく、悪く言えばできもしない生徒に期待しすぎで、たびたび絶望の淵に落とされる。
それは真剣に指導してもらっているということ。
お師匠が使った、同門という言葉。
ただの音楽業界の慣例の言葉だろうが、教室の一員としてカウントされていることを意味していた。
うん?
案外ぶどうさん、幸せ者かも?
同じ土俵ではないにせよ、同じ師につきピアノを学んでいることは一緒、ってことか。
まだまだ違和感満載ではあるが、社会的生き物である人間が帰属意識をもつには十分な言葉だと感じるぶどうであった。