こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
古小豆消費のためぜんざいを作りました(また!)
どんだけ古小豆があるんだ。
そろそろ新豆登場です。
秋の実り、楽しみです。
今度は年越さないぞ!
本日飽き性のお話です。
月に2回ピアノのレッスンに通っているぶどうさん。
何を目標にしているのか、ゴールは何かはよくわかっていない。
うまくはなりたいし憧れの曲は弾いてみたいが、それは自分だけの密かな喜びのためだ。
人前で披露したりコンクールで賞をとるためではない。
人によってはその方向で頑張る人がいるし、それはそれで素晴らしい。
同じ人も同じ顔もないように、やり方考え方は百人百様で、それぞれが尊い。
ぶどうさんの場合ピアノは日々の修行であり老後の愉しみだ。
などと言っているが、その実ものすごく飽き性だ。
ピアノは相変わらずまじめに頑張っているが、子供が弾くような曲さえ弾けず、ノロノロしているのは間違いない。
ピアノの発表会が終わって1か月以上経つというのに、与えられた課題の一つとしてクリアしていない。
発表会後は一区切りついた後の新たな出発であるし、新しい課題ばかりだったので張り切った。
張り切って譜読みをし何とか両手で弾けるようになり、なんとか制限時間内に演奏できるようにもなってきた。
でも。
ずっと同じ曲ばかり。
飽きてきた。
飽きたからと言って、弾けているわけではない。
弾けなさすぎると頑張れるが、ある程度時間が経つと頑張りようが分からなくなってくる。
曲をもらったばかりは全く弾けない→なんとか両手で弾ける→通しで弾けるようになると、ものすごい速さで上達したかのような錯覚に陥る。
でも。(2回目)
それからは上達するでもなく後退するでもなく同じような状態がずーっと続く。
出口が見えない。
そうなると、飽きてくる。
曲をうまくなろうとするモチベーションが下がる。
改善点は沢山あるのだろうけれど、それがわからない。
だからこそレッスンに行くのだが、ツッコミどころ満載過ぎて・・結局その繰り返しでいつまでも合格しないまま同じ曲を弾き続けることになる。
そうすると、今度はただでさえ低い自己肯定感が思いっきり下がってくる。
いつまでも足踏みしている自分が歯がゆいし、どんどん時間が過ぎていく焦りを感じる。
1年に弾く曲に限りがあるので、あと40年(も弾けるのか?)ではそんなにたくさんの曲は弾けない。
なんだかがっかりだ。
へたくそなまま食べ散らかしたように曲を弾くつもりはないけれど、地味に絶望を感じる。
それもまた飽き性を助長させている。
なんとかならないかと知恵を絞ったところ。
飽きてきたと感じたら、新しい曲を弾くことにした。
ターゲットは、憧れの大曲ではなく、いつか弾くつもりの練習曲などだ。
ツェルニーで言えば50番とか、ブラームスの51番とか、モシュコフスキーとか。
どれも楽譜はもっていないけれど。
少々雑な仕上がりでもいつかやるので、いいかもなあと。
どれも上級すぎてとん挫しそうなので、もっと他のをリサーチしようとは思うが、とりあえずはそんな方向で攻めていくことにした。
飽き性は欠点のようでいて、あきらめの良さではある。
ピアノはまだあきらめるには早そうなので、欠点を補うために工夫することにしたぶどうであった。