こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
雨風が強くなりました。
週末のお天気は望めないようです。
肌寒くなってきましたので、この機会に衣替えはいかがですか。
早めに準備して秋を楽しんでください。
本日ギブアンドテイクのお話です。
子供の頃からちょっと変わり者だったぶどうさん。
今もちょっとおかしいのは相変わらずだ。
そんな変わり者には、友達が少ない。
少ないけれど、細く長く、途切れそうなつながりだけれど続けてもらっているのはありがたい。
奇特な人がいるもんだ。
その中の一人は大人になってからの友達で、10年ほど前にたまたまお隣同士になって知り合った。
年齢が離れているし、お子さんもいらっしゃるのでお付き合いする理由はなかった。
数年のちアパートの当番をきっかけに親しくなった。
引っ越した今もたまに連絡を取り合っている。
その方は感心なことに律義で礼儀正しく、今も丁寧語でやり取りをする。
ちいさなお土産を渡せば、必ず忘れずにお返しをする。
ぶどうさんとしては、旅先で見つけた面白いものを楽しんでほしくて、お返しなんていらないのだけど、彼女は律義だ。
しかも同じように旅先で見つけた面白いものを返してくれる。
その態度は誰に対してものようで、自身の両親や旦那様のご両親への配慮も手厚い。
若いのに、すごいなあと思う。
そんな彼女はときおり「ただほど怖いものはない」と口にしていた。
どうも無意識のようだ。
彼女に何があったのか???はわからないが、何度か聞くうちに「そうかも?」と思うようになった。
ただ、というのは、物のやり取りだけでなく、気づかいやサービス、専門知識なども含むと気が付いたからだ。
生きていて、やって当たり前、やってもらって当たり前、しかもタダでなんでありえない。
それは自分の価値への冒涜であり、他者への甘えであり、搾取であり、泥棒であり、奴隷を強いていることにもなる。
まあ、最後のくだりはちょっと大げさだけど。
ただこの「やってもらって当たり前」って言うのは、知らないうちにやってしまっていることが多い。
また、やってもらって当たり前野郎に言われて何の疑問も持たずについその要求を叶えることもある。
自身がやっていること、暗に要求されていることが正当なものかを認識して行動しないといけないなあと思うようになった。
50台後半、アラカンにして気づくの遅すぎ(笑)
今まで色んな失敗をやらかしてきたなあと反省した。
人生100年時代となった現代、昭和生まれでも100歳まで生きるなら40年余あるぶどうさん。
遅まきながら、これからの人生はギブアンドテイクかつギブが先を心掛けることにした。
そして人生終わりに誰かに借りっぱなしにならないようにしようと決意したぶどうであった。