こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

在庫整理のため小豆を炊きました。

 

引っ越しに向け、ぼちぼちもの減らしをしなくては。

 

最後の引っ越しは、楽にやりたいものです。

 

がんばるぞ!

 

 

本日どう老いるかのお話です。

 

 

夕方夫の携帯に着信があった。

 

夫の兄弟からで、母親を入院させたという知らせだった。

 

春には元気に旅行に行っていたのに、突然2,3か月前ころに腰痛のためコルセット生活になったらしい。

 

先月には要支援認定を受けいていたそうだ。

 

それが、突然入院になった。

 

理由は、病院にかかっているにかかわらず治療や投薬はなくリハビリのみで・・。

 

悪化したらしい。

 

もっともよくなかったのが、安静にしていなかったことだった。

 

病院を替え、即入院。

 

この先どうしたらいいのか、入院中に考えないといけない。

 

・・・と思い、慌てて最寄りの地域包括支援センターに駆け込んだ。

 

ぶどうさんの親とはパターンが違いすぎ、どんな施設を検討したらいいのかわからなかったからだ。

 

要支援だと利用できるサービスは少なく、このまま独り暮らしは難しいだろう。

 

また、経過的なところはあっても、ずっと暮らせそうな施設はあまりない。

 

ただ、2週間で退院ということがひっかかった。

 

2週間で、よくなるんだろうか。

 

謎のまま、とにかく経過をみることにした。

 

兄弟がいうには、前の病院は検査さえしていなかったという。

 

一体何のため病院に通っていたのか、まったくわからない。

 

2週間で一段落し、次のステップをということは、あまり深刻ではないらしい。

 

それより気をつけないといけないのが、本人の暴走だ。

 

安静にし過ぎるのが悪いと思うのか・・・


ジッとしていられず、動き回ったせいで悪化しているのだから。

 

子供たちが口酸っぱく言い続けた忠告をことごとく無視し、勝手に行動した結果だ。

 

この先どうするかなんて、他人のぶどうさんが真剣に考えることではない。

 

本来は本人が自分の始末をしなければならないことで、そのうえで実子がサポートをするべく考えなければならない。

 

残念なことに、親の世代はこの感覚が抜け落ちている。

 

それでも気になるのは、人っていろんな年の取り方をするなあと改めて思ったから。

 

ぶどうさんには祖父母がいないので、身近に年寄りがいたことはない。

 

両親は長生きだったので、そこで初めて人の老いに触れた。

 

夫もぶどうさんもそれぞれ父親を病気で亡くし、母親はともに生きている。

 

双方の父親の老いと死、母親の老いを経験している最中だ。

 

たった四人しかいないけれど、それぞれの老いは、計らずも学びとなっている。

 

良きにつけ、悪しきにつけ、だ。

 

よいところは見習い、悪いところは早々に気づいてやめることにした。

 

心身共に健康を保ち、人生を楽しく有意義に過ごすのは、誰しもが持つ権利であり、義務でもある。

 

親から教わることは子供のときだけではなく、老いて死ぬまでの、生き方かもしれない。

 

ぶどうさんたちは子供のいない夫婦であるため、始末は自らつけないといけない。

 

そのためにも、どう老いるか考えて、よりよい選択をし続けようと思うぶどうであった。