こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

8月です。

 

まだ台風が来ていません。

 

ありがたい。

 

今日も暑そうです!

 

体調に気を付けて安全にお過ごしください。

 

 

本日は反面教師のお話です。

 

 

最近パソコンを立ち上げると必ず一つか二つ出てくる話題がある。

 

それが、老親の介護。

 

今日も二つほど目にした。

 

関心があるので、つい読んでしまう。

 

そして、違和感を持ってしまう。

 

親の介護を他人まかせにしてはいけないという論調が多いからだ。

 

子供がある程度は関わらないと、という理屈だ。

 

実際、子供が何とかしないといけないことはある。

 

でも、と言っては何だが。

 

当の親はなにをしていたんだろう。

 

全くの無策でいたのだろうか。

 

ある程度心づもりはあったけれど、思惑から大きく外れてしまったのだろうか。

 

そういうぶどうさんの両親は、無策だった。

 

もっと早く老い先のことを考えていれば、より楽に年老いることが出来たろうに思う。

 

出来なかった理由は、いくつかある。

 

案外二人とも丈夫で、健康状態を過信していたこと。


夫婦二人で元気に長生きしていたため、突然老いが来たこと。

 

お互いで面倒見れば何とかなると考えていたこと。

 

社会や他人にお世話になることを恥としていたこと。

 

 

両親は子供の世話にはならないと、昔から言っていた。

 

たしかに子供たちは近くにおらず、遠方に住んでいるためあてにはならなかった。

 

ただ、最終的には、子供にお願いせざるを得なかった。

 

あてにするつもりはないと言いつつ、丸投げ。

 

そこは子供がいることに甘えていたんだろう。

 

夫婦二人で年老いて、片方がどうにもならなくなった時どうするか考えていなかった。

 

母が認知症と診断されてから心の用意と覚悟を持たねばならなかったのに、最後の最後までグダグダだった。

 

早く施設に預ければよかったのに、父は決断できなかった。

 

その気持ちはわかる。

 

夫婦で老いる難しさかもしれない。

 

それでも、準備する時間はあったはずなのに、と思う。

 

子供はサポート役であるけれど、親の人生の全面的な後片付け役ではない。

 

ぶどうさんちには子供がいないので、自身の老後の準備は自分でやらないといけない。

 

それ、当たり前。

 

ところが世間はそうは思っていないらしい。

 

それが当たり前の世の中になればいいのに、と思う。

 

ぶどうさんちは結局ぶどうさんがあれこれ手を尽くすことになったが、それも母を看取れば終わる。

 

・・・と思っていたのに。

 

夫の母親が、なにやら怪しいことになってきたらしい。

 

先日遠方に旅行に行ったらしいが、その後骨折して日常不自由な生活を送っているとか。

 

夫は以前から兄弟と話していて、面倒はみれないから施設に入ってもらうと結論づいている。

 

随分前に施設に目星をつけたほうがいいと伝えてはいたが、何もしていないようだ。

 

そもそも本人はこだわりが強いので、無理だろうけど。

 

伴侶をなくし独り暮らしをして10年間、彼女は何をやっていたんだろう???

 

独り暮らしであれば、自分のことだけをし、考えればいいはずなのに。

 

ぶどうさんちみたいに夫婦二人暮らしで老いが突然来て途方に暮れる、という暮らしではなかったし、元気にウロウロしていたと聞いていたが。

 

とりあえず、老人一人暮らしのサポートの手続きをあれこれするよう夫に指示をだした。

 

そういったことは、子供がいるからしてもらえること。

 

でもぶどうさんたちは、自分でやらなければならない。

 

それ、当たり前。

 

終の棲家づくりをし、終の棲家で年老いるつもりのぶどうさんたちも、いつかは暮らせなくなる日がくる。

 

そのとき、ぼんやり年をとって土壇場で困る、なんてことがないようにしたい。

 

自分の親、夫の親、どっちも自分の尻ぬぐいを子供にしてもらっている。

 

仕方がない部分はあるものの、意地の悪い見方だが、準備が悪いと言わざるを得ない。

 

自身の老い方や行く末に責任を持てるよう、何を準備したらいいのか考え始めたぶどうであった。