こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
霧が深く湿度が高いので除湿器と扇風機を使っています。
ちょっと湿度が下がりました。
みなさま、湿度をコントロールして快適に過ごしてくださいね。
本日それは置いておいて、のお話です。
大音量の目覚ましの音に飛び起きたぶどうさん。
のはずが。
意識が遠のき、5分後同じリアクションをした。
うん、単に二度寝してたんだな。
いつもは目覚まし時計のスヌーズ機能にお世話にならないよう、気を付けている。
二度鳴らすと後で面倒くさいことになるからだ。
たまにしかやらかさないのに、常習犯のような扱いを受けてしまうのだ。
寝坊したせいか、二度寝して頭が定かでなかったせいか。
夫が前夜洗いかごに伏せていた湯飲みを定位置に戻そうとして・・・・
ツルッと手を滑らせた。
そのままシンクに落ちたものの、壊れるような落ち方ではなかった。
湯飲みは厚手のものだし、今までも何度か手を滑らせたが大丈夫だったので心配しなかった。
ところが、拾い上げると、口の部分が一部欠けていた。
あ、やってしまった。
そう思うと同時に、今朝すぐさま使う湯飲みを用意しなければならなくなった。
湯飲みは沢山あるが、夫が満足するような大き目の湯飲みがない。
仕方がないので、以前割って片割れだけ残っている夫婦湯飲み茶わんを急場しのぎにした。
あとでよさげなものを捜せばいいからと。
身支度を済ませた夫に事情を話し、何とか朝の急場はしのぐことができた。
送り出したあと、ふと気が付いたことがある。
ぶどうさん、夫の湯飲みをことごとく破壊している(笑)
言い訳がましいが、形あるものはいつか壊れ行くものなので仕方がない。
むしろ長いこと愛用され、そのあと壊れて捨てられるのだから、互いに幸せなのかもしれない。
本来の意味で使い切った、といえるのだから。
昨今の断捨離や片付けは、「手に余るものを処分する許可」という画期的な視点を与えてくれた。
広い意味で「使い切った」者たちを手放すことで、その後のものの持ち方に意識改革を促している。
ぶどうさんも、広い意味の使い切ったものたちを手放したことがあるが、これをすると心が痛む。
でも今回はちゃんと使ってさよならできた。
よかったよかった。(←いや、だれのせいや)
そういえば先週、実家から持ってきた、思い出の皿を一枚処分した。
普段にしょっちゅう使っているもので、おかずを盛ろうとしたとき縁が欠けているのに気が付いた。
壊れることはないだろうと思っていたものが、気づかぬうちに壊れていることに驚いた。
物って壊れるんだと、しみじみした。
こうやって一枚ずつ、生きているうちに使って壊していって手元から宇宙に返るのか。
そう感じた後の、湯飲み破壊事件。
その湯飲みは、20年近く前に両親が旅のお土産として選んで送ってくれたものだった。
思い出がどんどん、宇宙に返っていっている(笑)
いいじゃないか。
一つ、また一つ使い切って人生終盤に向けて整理していくのは悪くない。
命あるもの、形あるものはいずれどこかに還っていくものだから。
などと、延々と調子のいいことを言っているが。
物を壊さないように気を付けて生活したほうがいいのではないかと誰かに言われそうなぶどうであった。