こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
奇数月初めなので、掃除機の紙パックを交換しました。
なんと、満杯!
何吸い込んだんだろう(怖)
交換頻度を上げたほうがいいのかしら。
本日おばかですがのお話です。
愚痴と弱音なので、いやな方はスルーください。
10月2度目のレッスンに行ったぶどうさん。
終了後、がっくり肩を落とすどころか半分涙目で帰ってきた。
全然いいところがなかったからだ。
頑張って練習したつもりだったのに、一つも進まなかった。
もっともショックだったのは、ハノン。
同じものを2回も落第した。
つまり、同じことを6週間もすることになったのである。
いや、次に行ったときに進む可能性は低い。
なぜなら、まったく理解できないことを言われてしまったからだ。
次までに習得できるとはとても思えない。
ハノンという、一つのテクニックの練習に、なんと2ヶ月も時間をかけることになるかもしれないのだ。
もう、バカじゃない?
時間とお金の無駄である。
あれだけ続けようといっていたのに、本気でピアノをやめようと思った。
出来ないからやめるという、根性や才能以前のお話なのである。
一生わかりそうもない課題だと直感した。
そしてもうピアノは弾けそうにないと感じた。
問題のハノンは、48番の手首の練習だ。
1回目のレッスンでは、解説の、手首から先を上下に動かすがわからなかったので聞いて、2回目に臨んだ。
その時、指の先を固くするようにと言われたので、それで練習していったのだ。
2回目は、大丈夫だろうと思っていたら。
打鍵の深さがバラバラなこと、左右の指の離し方が異なること、脱力ができていないことを指摘された。
打鍵の深さをそろえるのは、意識が行っていなかったので、ああそうかと思ったが。
左手は鍵盤に残りがち、右手は離れがちでもあるらしい。
しかし、最後の脱力がどうしてもわからない。
お師匠がおっしゃるには、鍵盤を押した後、上がってくるのに任せましょうと言われるのだが、ぶどうさんは鍵盤を押すとそのまま抑えっぱなしになってしまう。
なんで鍵盤が上がってくるんだろう???全然わからない。
力は入れていないが、体重が乗っているので、鍵盤が上がるはずがない。
そこで、指は離すのではなく力を抜くと鍵盤が上がってくるというので、脱力をといわれるが、その脱力が分からない。
腕や手首の力を抜くのだと言われてもわからない。
なんで、なんで、なんで???????
ハノン48番で完全に躓いたぶどうさん。
才能どころか、ピアノを弾くセンスがないし、なによりピアノを弾ける気がしなくなった。
トボトボ家に帰り、何もやる気なくゴロゴロしていたが、とある方が
「24時間内に復習しましょう!身につきます」
と言っていたのを思い出し、渋々レッスンのおさらいをした。
もう見たくもないハノンの48番をもう一度開いて弾いてみたが。。
謎は深まるばかり。
確かに指の力を抜くと鍵盤は上がる。
そのためには体の脱力どころか腕や支えの力が必要だ。
そもそも、指の力を抜くこと自体が、実はエネルギーを使っている。
指の力を抜くためには近い部位の緊張が必要だ。
脱力どころか、どこかに力を移動させているだけだ。
おばかなので、脱力という言葉自体がおかしいのではとさえ疑う始末。
脱力という言葉の意味が、文字通りでないとしたら、一体何を言っているのだろう。
鍵盤を抑えて指の力を抜く感覚を確かめてみたが、本当にこれが脱力なのかわからない。
弾きながら感じたのは、力の集中と発散、体内の力の移動を意識しないといけないのではなかろうか。
なんかようわからんけど。
そもそも脱力ってなんだろうと、調べてみたが、説明だけではわからなかった。
指だけでなく、手首、腕、肩、の脱力は、どうすればいいのだろう。
人間何らかの作業をしていればどこかの筋肉は緊張し、一方で作業の末端(大抵が手首より先)は可動域が広くなるように緊張と弛緩を繰り返している。
ほぼ無意識下であるが、それをピアノは意識して繰り返さなければならない。
なんと難しい芸当だろう。
あんなに鼻息荒く頑張っていたのに、シュンと希望がしぼんでしまった。
2ヶ月近くもハノンの1ページを弾くなんて、バカである。
はあ。
ピアノを弾くのが憂鬱になってきた。
脱力が分かる日がくるのだろうか。
そして10年かかってもハノンは終わりそうにない気がして途方もない気分に陥ったぶどうであった。