こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

蒸し暑い日が続きますね。

 

日差しが南下したせいでベランダの照り返しが強く、熱気が室内に入ってきます。

 

これからの日本は夏と冬だけになるんじゃないかと聞きましたが、その通りかも。

 

家はパッシブデザインだけでなくもう一工夫必要なのかもですね。

 

 

本日蒸しパンのお話です。

 

 

長いことお菓子作りをやめてしまっていたぶどうさん。

 

元気が出たら始めるつもりでいたら、先日猛烈に蒸しパンを作りたくなった。

 

食べたかったわけではない。

 

作りたかった。

 

理由はわからないが、なにやら元気が出てきたらしい。

 

ピアノの発表会が終わり、ちょっと余裕ができたせいかもしれない。

 

久しぶり過ぎて作り方をわすれたので、レシピ本を眺め、早速作り始めた。

 

ぶどうさんの性格上、本を見たとて、適当だ。

 

本を汚すのがとにかく嫌なので、複雑なレシピはざっとメモするが簡単なものは分量と手順を空でおぼえてレッツラゴーだ。(古)

 

蒸しパンのレシピは、大好きな柳瀬久美子さんのものだ。

 

何度かつくり、味、手順ともにお気に入りだ。

 

食事むきというよりは、正しいおやつ風。

 

慣れたもので、サッサか作り始めたところ・・・・

 

なんだかおかしい。

 

!!!!!

 

なんと、あまりに久しぶり過ぎて手順を間違ってしまったのだ!

 

泡立てを忘れて全卵に油を入れてしまうとは・・・・。

 

おまけに粉をザバッといれたせいで、だまだまだまだま・・・・。

 

なんじゃこりゃあ!

 

こうなっては裏ごしするしかないが、面倒くさくなりそのまま型に入れ、蒸しあげた。

 

出来上がった蒸しパンは悲惨だった。

 

お菓子作りをさぼりすぎて蒸しパンさえ失敗するようになったとは。

 

トホホ。

 

証拠隠滅のため、6個できた蒸しパンを朝に昼に食べたものの。

 

結局3個しか食べきれず、仕方なしに夫に蒸しパンを作ったことを告白した。

 

蒸しパンは水分が多すぎて、夏はダメになりやすいし日持ちしないからだ。

 

久しぶりのおやつに大喜びで食べてくれたのは予想外だった。

 

のこった蒸しパン(!)を喜んでいる姿を見て、昔の記憶がよみがえった。

 

ぶどうさんの子供の頃は簡単なおやつは家庭で作られており、インスタントのもとも売られる時代になっていた。

 

母は料理やお菓子、おやつを作るのが上手だったのでいろんなものを作ってくれた。

 

そのひとつに蒸しパンがあった。

 

どうやって蒸しパンを作っていたのかは、覚えていない。

 

蒸しパンのもとを使っていたのか、自分で配合していたのか。

 

作る蒸しパンはほぼ同じものだった。

 

お芋やレーズンを入れた、そんなに甘くない、いくらでも食べられるもの。

 

二段の蒸し器に種を入れたアルミカップをぎっちりならべ、押し合いへし合いで形が少々いびつになった、丸くはない蒸しパン。

 

さほど高さはなかった。

 

作るのは休日のお昼ご飯時が多かったので、食事の一種だったのだろうか。

 

出来立てはおいしかったが、しかし時間が経つと硬くなる。

 

子供たちはのこった蒸しパンに見向きもしなかった。

 

翌日なんて、ぱさぱさで最悪だ。

 

父がボチボチ食べていたのを思い出す。

 

その蒸しパンを、訪ねてきた近所の人がいつも嬉しそうにもらって帰っていた。(作った当日分です)

 

なんでうれしいのかわからなかったが、不思議だった。

 

今思えば、多分その方は蒸し直していたのだろう。

 

もしくは電子レンジで温め直していたか。

 

ぶどうさんちにはかなり遅くまで電子レンジがなかった。

 

よって、子供のぶどうさんには、蒸し直したり、電子レンジで温め直すとふんわりするなんて知恵はなかった。

 

近所の人は、賢かったのだ。

 

もうあの蒸しパンは二度と食べられないし、検証できないのは残念だ。

 

ぶどうさんの作った蒸しパンは、あの頃の蒸しパンより配合が贅沢で、ちょっと上品だ。

 

。。。まあ失敗したけど。

 

味はわりかしイケたので、またチャレンジしようっと。

 

こういう家庭のおやつは、好きなレシピを見つけて作るに限る。

 

ほんの三十分で、出来立て蒸しパンを食べられる幸せがやってくるのはありがたい。

 

今度は手順を間違わず、成功させよう。

 

あ、粉を変えたり甘納豆やレーズン、お芋を入れると楽しいかも。

 

↑その考えが事故のもと、失敗のもとである。

 

成功しないうちにあれこれアレンジする悪い癖で、ドツボにはまる予感のするぶどうであった。