こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
雨脚が強まったり、急にやんだりしています。
油断せず、災害に細心の注意を払いましょう。
本日逆行の話です。
秋にピアノの発表会を控えたぶどうさん。
50過ぎのオバサンが発表会!日々奮闘中なんて、笑わせるぜ・・・。
誰かの声が聞こえてきそうだが、関係ない。
出たくて出るわけでなし、かといって全然メリットがないわけではない。
一つの目標が設定され、ゴールを目指し、成功失敗どちらにせよ着地点があるのだ。
まずはチャレンジというので、頑張ってみることにした。
発表会は2回目だ。
昨年に続き選曲に腐心し、結果連続でシューマンの同じ曲集から選んだ。
悩んだ理由はいろいろあるが、一番の理由は「弾いてみたい曲と弾ける曲のレベルが乖離していること」。
あまり弾きたい曲だとか大好きな作曲家がいるわけではないが、人生一度は弾いておきたい曲というのはある。
それが実力と見合わな過ぎて、困ったのだ。
じゃあなぜにシューマンに落ち着いたかというと、これはたまたま。
なんとなく、これにしようかなというノリでお師匠さんに相談したらそのまま通ったので・・・流れで今年も同じ曲集から弾くことにしただけだ。
ぶどうさんの実力にあっていない曲集なので、1曲仕上げるのに時間がかかる。
去年の続きのつもりで弾いていたら、今年もまだまだ曲の残りがあった、というだけの話。
ただ一生縁がないと思っていたシューマンの曲を弾いたことでシューマンの曲に注目するようになった。
これを弾いてみたい、あれも。など、一生の残り時間では足りないくらいだ。
ピアノを再開するにあたり、もともとはショパンの、バラードやポロネーズを弾けるようになれたら、という希望はあった。
今も諦めていないし、ショパンの曲もいずれ弾きたいとは思っている。
そんな時間があればいいのだが・・・。
ショパンの曲を弾きたいと始めたピアノだったのに、今はシューマンの曲をもう少し弾きたいと思っている。
しかし、さらに夢と野望が広がって、最近はリストの曲もいずれはと考えるようになった。
ここまでは、順当。
というのも、ショパンもシューマンもリストも、ほぼ同時代の人だから。
それが突然、ベートーベンの曲に興味を抱き始めてしまった。
きっかけは、テンペスト第三楽章を弾いてみいたいかもという安易な気持ちからだ。
それが、最近はベートーベンを通り越し、バッハを弾きたいと思うようになった。
バッハは以前から嫌いではない。
うまく弾けるかというとそうでもないのだが、美しい響きが好きだ。
ひょんなところでその美しさに気づき、ずっと弾き続けたいなと思うようになった。
気づいたのは、新しいピアノのおかげだ。
以前のピアノでは消音装置を使っていたのでヘッドホン経由で自分の演奏を聞いていた。
今は消音装置をつけていないので、通常モードか弱音ペダルしか使えない。
さすがにそのまま弾くとただの騒音なので、弱音ペダルを使いピアノの練習をしている。
ヘッドホンなしの直接の音をきくようになり、少しずつ生音に対する感覚が養われるようになった。
ハノンやツェルニーでは違いはわからないのだが、バッハを弾くとはっきりと違いが判る。
和音の響きが体に染み渡るのだ。
ああこんなに美しい音だったのだと、バッハの曲に感動した。
ぶどうさんのへっぽこ演奏でかつ自分の音に感動するのだから、バッハ先生の曲は大したものである。
その感動以降、これからずっとバッハの曲を少しずつ進めようと決意した。
でもこれって。
逆行だよね。
ロマン派→古典派。
こうなると、次はモーツアルトとかハイドンとか、そっちの方に行っちゃうのだろうか。
そっちに行ったら、もう一生ロマン派以降近代の曲は弾く時間なく人生が終わってしまう。
ピアノはできてからそんなに長い年月ではないのに、ピアノ曲の層はものすごく厚いのだなあ。
広く浅くつまみ食いするか、一部だけ虫食いするか。
不器用だから、ロマン派と古典派をうろちょろして新しい曲を挑戦することはないのかも。
それはそれで、聞き専でいいや。
時代をさかのぼりながらピアノをたのしんで、充実した人生にしよう。
さて、発表会が済んだら何に挑戦しよう。
新しい楽譜をのぞいてみようと、本番前にフラフラしだすぶどうであった。