こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

紫陽花がきれいですね。

 

梅雨もまたいいものだと紫陽花の花が教えてくれます。

 

 

本日よくわからないのおはなしです。

 

 

6月のピアノのレッスンを終えたぶどうさん。

 

実は今回は結構頑張ったつもりで行ったのだが。

 

散々な結果に終わった。

 

何一つ合格しなかったのである。

 

合格しなかったことが悪かったのかというと、そればかりではない。

 

うまくピアノを弾けなかったのだ。

 

このうまく、とは、上手に、というわけではない。

 

なんというか、ピアノを弾くこと自体違和感があったのである。

 

そして思い当たる要因にショックが隠せなかった。

 

まず大きな原因が、新しいピアノ。

 

もう一つが、たぶん、弾き方を変えたことだ。

 

両方が重なり、聞くも無残な演奏になった。

 

本番ではなくただのレッスンでよかったと思うことにしよう。

 

新しいピアノに変わって1カ月経つ。

 

以前の古いピアノに比べ鍵盤が少し重いというか、かたい。

 

初めて触ったとき少しびっくりした。

 

さらに弱音ペダルを常時使っているせいか、さらに重い感じがする。

 

おそらく弾いた感覚より弱い音しか出ないから無駄に力を入れている可能性はある。

 

しかしだいぶ慣れてきた。

 

鍵盤が重い気はするが、アクションはスムーズに動き全体にバランスはとれているようで、弾いていて気持ちはいい。

 

新しいピアノの良さはここにあると思った。

 

それに慣れてしまったのか・・・。

 

お師匠のお宅のグランドピアノを弾いたとき、今まで以上に違和感を抱いてしまった。

 

弾きやすかったはずのグランドピアノが、なんとも弾きにくいのだ。

 

さらに弾き方を変えたのもよくなかった。

 

ぶどうさんは、速いテンポの曲を弾けないので、弾けるようになるために弾き方を変えることにした。

 

えらく大層な話になりそうで申し訳ないが、やっていることは単純である。

 

指を上げ過ぎず無駄な動きをなくすことにしたのだ。

 

ところが。

 

上記の、鍵盤を押す力加減というのが新しいピアノになって変わってしまったせいか、動きがおかしくなってしまう。

 

必死に楽譜通りに弾こうとして悪戦苦闘のままレッスンは終わってしまった。

 

帰り道でレッスンの失敗の原因をどんよりと考えながら、とぼとぼ家に向かった。

 

ピアノのせいにばかりするのは間違ってはいる。

 

どんなピアノでも弾けなきゃ意味はないので、自分のピアノと違ってうまくいかなかったということはなにかしらやり方が間違っていると反省するしかない。

 

そんな失敗の後、たまたま隣町のヤマハの楽器店に行ける用事ができた。

 

このチャンスを逃すまいと、電子ピアノを見せてもらうことにした。

 

今のピアノはお昼間しか弾けないので、どうしても不満がたまる。

 

とはいえ、ピアノを買ったばかりでかつ置く場所もないため高額な電子ピアノは買うつもりはない。

 

いくつか候補を調べ上げていたので、それを見せてもらった。

 

あいにく田舎なせいで、見たいものはなかった。

 

それより一つ下の機種があったのと、ちょっと高額だけどベーシックモデルのみの展示であった。

 

ヤマハのアリウス145、クラビノーバ735と745だ。

 

他にはカシオのプリヴィアもあった。

 

どれも触らせていただいたが、鍵盤を押した感じが、どれも違い、どれもピンとこなかった。

 

この中では745が一番高価で鍵盤の反応もいいのだろうが、思ったようなものではなかった。

 

そこでハタと、気が付いた。

 

そもそも弾きやすさや、弾き心地の良さ、もっというとピアノのアクションの良さってどいうものか、全然わかっていない!

 

個人差や好みがあってはいいけれど、自分のピアノでしか弾けませんってなるのはどうも違う。

 

電子ピアノであっても、お値段だけに妥協するのはどうかと思う。

 

けれど一方で、自分のアップライトが原因で弾きにくいと感じるのなら。

 

なにをどう修正したらいいのだろう?

 

弾きやすい電子ピアノを選んだとて、本質は解決していないような。

 

いやいや、いまのぶどうさんに弾きやすい電子ピアノを選べるのだろうか。

 

弾きやすいと思う電子ピアノが正解なのだろうか。

 

もうよくわからなくなってきた。

 

それほど、ピアノ選びは難しい。

 

本物のピアノであっても、一時しのぎの電子ピアノであっても。

 

こんなふうで、いつか終の棲家のグランドピアノを選べるときがくるんだろうか。

 

その時は誰かと一緒に行こうかと、早くも弱気になっているぶどうであった。