こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

オーブントースターで小さなサツマイモを焼きました。

 

暖かくなるまであと何回作れるかな。

 

心まで温まりますよ。

 

みなさまもぜひお試しください。

 

本日レッスンはじめのお話です。

 

 

2023年の幕があけ、最初のピアノレッスンの日がやってきた。

 

新しい月謝袋にお金を入れ忘れないよう、渡し忘れないようにと前日から確認をお怠らないぶどうさん。

 

用意しとかないと、忘れちゃうからね・・・。

 

今回はお正月を挟んでのイレギュラー版であり、ちょっと間が開いた日にお約束していた。

 

だからというのでか、なんだか妙に久しぶりな気分で家を出た。

 

相変らずの山道(笑)を登りながら、歩くこと30分弱。

 

この過程で体力を消耗しないよう、のそのそ歩くので時間がかかる。

 

60を超えたら、歩くのはやめてバスに乗ろうかなあと通過するバスをちらっと見てしまう。

 

いやいや、足腰を鍛えるたまの登山と考えなくちゃと頭を切り替えて登り続けやっと到着した。

 

お師匠宅についてお月謝袋を渡したとき、あまりに年明けから時間が経ちすぎたためか、いつもの感じであいさつしてしまった。

 

ハノンから始まり、ツェルニー、バッハ、シューマンと、いつも通りのレッスンメニューで進んでいく。

 

通い始めて1年以上も経つと、お師匠宅のグランドピアノの音と打鍵の感覚にだいぶなれ、あまりビビらないようになった。

 

むしろ、弾いた感じが心地いいなあと思えるようにもなってきた。

 

ただ、どうしても慣れないことがある。

 

それは、音が分からないこと。

 

ぶどうさんは、いつもはアップライトピアノで練習している。

 

集合住宅住まいのため、音は出さず、消音装置を使い、ヘッドホンから出る音を聞いている。

 

その音というのが、問題なのである。

 

消音装置のものが合成音なのか、集録音なのかはわからないが、電気信号を拾って出す音なので、ピアノの音ではないし、時間とともに狂うことはない。

 

ところが、レッスンでは自分のピアノの音とは違うし、生音だ。

 

そして・・たぶん、少し音が変わってきている??ような・・・・・。

 

ぶどうさんは絶対音感はない。

 

情けないことに、相対音感も、怪しい。

 

だから、グランドピアノの調律が狂ってきているのか、本当のところはわからない。

 

とにかく家で聞いていた音と、レッスンのピアノで聞いた音がなにやら違うと思い困惑するのである。

 

ハノンやバッハはあまり和音を使わないため問題なく弾けるが、和音の多いシューマンの曲を弾くときに自分が弾いている音があっているのかどうかわからない。

 

しばらくすると慣れるが、シューマンの曲の弾きはじめには必ず

 

[??????」

 

となり、「弾いている音、あってますか~?」と、毎回お師匠に聞いてしまうのである。

 

他の楽器と違い、ピアノは持ち運べないためよそで自分のピアノを弾くことができない。

 

ピアニストは大変だとは聞く。

 

でも、これはそれ以前の話。

 

消音装置の弊害だろうか?

 

いつも生音で練習していれば困惑することはないのかもしれない?

 

万一音がずれていたとして、ピアノの個体差環境差で狂いは同様ではないから、やっぱり困る?

 

調律が狂ってくると、気持ち悪い音になるという。

 

その気持ち悪いが、これまたわからない。

 

毎日消音装置を使っていて、生音を出さないので調律の狂いが分からないのだ。

 

たまには、ピアノを開放して普通に弾いて練習しなければ。

 

そうこうしているうちに、年一回の調律の時期がやってきた。

 

消音装置を使っている限り調律の必要はないけど、メンテナンス的にやっている調律。

 

あと数年で50歳になるご老体のピアノだもの、せめてそれくらいはしないと。

 

くっきり溝の付いたハンマーの交換や、ヤマハ特有の木口の交換をしたいけれど、50年も経てば、普通オーバーホールだ。

 

現実的には住まいの状況からまだやれないけれど。

 

消音装置が使えるうちは使って、終の棲家を手にいれたら外して、オーバーホールできるといいな。

 

レッスンはじめで音が分からなかったので、自宅ピアノを調律したあと一度弾いてみよう。

 

何が正解かわかるだろうけど、忘れっぽい上に音感がないからあんまり意味がないかもしれない。

 

レッスンはじめで、大きな音を出してピアノを弾いたぶどうさん。

 

ピアノを弾くって気持ちいいなあと、今までにない心持になれ、成長したと感じた出来事であった。