こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

早朝渡り鳥の編隊が見えると聞き、空を眺めました。

 

残念ながら見えずでしたが、ワクワクしましたよ。

 

足元を見ることは大事ですが、顔を上げて空を見ることも大事ですね。

 

今日は金曜日です。一週間お疲れ様でした。

 

楽しい週末をお過ごしくださいませ。

 

 

本日「無駄な練習法」のお話です。

 

 

ほぼ毎日欠かさずピアノの練習をしているぶどうさん。

 

かなり感心である。

 

けれど、全然上達しない。

 

50半ばだものしかたない、ゆっくり行こうぜ!と自分をなだめながら頑張っている。

 

練習法はというと、普通にレッスンの教材をさらうだけ。

 

一通り弾いて、終わり。

 

気になる部分は少々部分練習はするけど、ほぼ通しで弾き、ハイ終わり。

 

これは、かなり無駄な練習法である。

 

素人だからこれでいいわけではないが、小耳にはさんだ、「プロの練習法」とは程遠い。

 

プロ(ピアノを生業にする人、趣味でも上級者)になると、まわりで聞いてる方が嫌になるほど同じところを繰り返して練習するらしい。

 

とてもいい方法だなと思う。

 

が、なぜかぶどうさんにはそれができない。

 

同じことをしていると、だんだん何をやっているかわからなくなる。

 

おまけにその部分だけ上手に弾けるようになったら、別のところが怪しくなってくる。

 

別のところを特訓すると、何をやっているかわからなくなった挙句、前やったことを忘れてしまう。

 

・・・あああ・・・・・。

 

先に進まない、無限地獄。

 

そんなわけで、今の方法に落ち着いている。

 

なんにせよ今やっている教材初級レベルなので、それでもいいのかもしれない。

 

全く無駄な練習法だと認識してやっているから、自己責任である。

 

ただ、この方法は現在のぶどうさんに向いているなあと思うところがある。

 

通して弾くのは、どんな簡単な曲でも意外に難しい。

 

集中力が必要だからだ。

 

集中力が途切れたら、間違うし、途端に曲が崩れていく。

 

また通しで弾くとき、ある種のプレッシャーがかかる。(そう感じるのはぶどうさんだけ?)

 

その重圧に耐えられるかどうか・・・と、弾くたびに挑戦されている気分になる。

 

ハノンやツェルニーで押しつぶされそうとは、蚤の心臓だけれど。

 

ハノンやツェルニーでそれなので、なにがしかの曲の時は一人で弾いていても緊張が走る。

 

弾き始めの揚々とした気分なのに、曲が進んでいくとだんだんと恐怖のような、魔の一瞬ようなものが現れ、このまま自分が弾いてよいのだろうかという感覚が支配していく。

 

ピアノを弾くということは楽しいことのはずなのに、誰かに遠慮しているような、そんな気持ちにもなる。

 

こういった傾向が発表会や人前演奏で現れてしまい、失敗の原因になっているようだ。

 

たぶん自分に自信がないのだろう。

 

自分を表に出すのが苦手で、思い切って何かやったら失敗すると思い込み、セーブするよう自分に暗示をかけているのかもしれない。

 

・・・・・過去、色んな失敗をやらかした実績はある(汗)から無理からぬことかも。

 

発表会などは本来「その人のために用意された、ピアノを弾くことが許される時間と場」なのに。

 

頭ではわかっていても、ピアノを弾くと、どうしてもおじけづく自分がいる。

 

だから、無駄な練習法だけれど、いつも通しで弾いて練習するぶどうさん。

 

毎回必ず複数個所コケまくるが、曲の終わりまで続くプレッシャーに耐える練習と思ってやっている。

 

ピアノは、楽しいはずなのに恐ろしい。

 

ある意味、修行。

 

その気持ちに打ち勝って、「楽しい」が勝る日が来るといいなと思うぶどうであった。