こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
今朝はぐっと冷え込みました。
夏の名残の扇風機とすだれをしまい、一つ冬支度(笑)
みなさまも、一つずつ冬へのステップを楽しんでくださいませ。
本日同い年のお話です。
昨日からアメブロのあちこちでショパンの命日のお話が出ている。
10月17日は、ショパンの命日、らしい。
そういえば、7月29日だったか、偶然シューマンの命日の話題をかいた。
どちらも、1810年生まれの同じ年。
ショパンは3月1日生まれで39歳、シューマン6月8日生まれで46歳の時になくなっている。
どちらも若くして亡くなっているのは残念だ。
ピアノを弾いている人だったら弾いてみたい作曲家の筆頭のショパン。
ピアノを弾かない人でさえ名前や曲くらい知っている。
一方シューマンはというと、あまり取り上げられない。
ぶどうさんは、ピアノを再開してからたまたまシューマンの曲を弾き、どんな曲があるのか興味を持ったが、それがなかったら多分全くしらないままだった。
難しい曲を書いた人、多分一生弾くことはない、くらいな。
シューマンのことをちょこちょこと調べていくうちに、シューマンとショパンの間にもわずかばかりの交流があったことを知った。
おまけに「ショパン」という曲まで存在しているとは。(素敵な曲ですよ)
気の毒なことに、親近感を抱いて好意をもっていたシューマンの思いは一方的だったようで、ショパンは塩対応だったとか。
こういうところにシューマンというお人柄を感じてしまう。
と、だんだんとシューマン贔屓になってきた自分に気が付いた。
だからといって、いつか弾きたいあこがれの曲がシューマンのみに置き換わったわけではない。
やっぱり、ショパン。
ピアノを弾くなら、弾けるなら、ショパンでしょ。
そう思っていたのだけれど、ショパンはぶどうさんの実力からすれば高嶺の花である。
まだまだ弾ける段階ではない。
ピアノを弾いている方のブログでは、みなさん、ショパンの曲の練習やコンクール参加の話題で持ちきりだ。
ま、まぶしすぎる・・・!
いつか、弾けるようになりたい。
それに比べて、今の自分は当面シューマンの曲(中級以下)を続けるしかない。
自分で選んだことだし、いつか献呈を弾けるようにもなりたいから、これでいいのだと納得はしているのだが。
なにやらモヤモヤが募る。
シューマンを続けることへの少々の疑問が心の隅に湧きあがっていたのである。
発端は、シューマンとショパンの関係をかいた一文を読んだことだった。
「ショパンは、シューマンの音楽を評価していなかった。」
ショパンは自分の音楽性が上だと認識したうえでのことだろう。
また、シューマンの曲は売れなかったらしい。
優秀なピアニストクララシューマンの演奏をもってしても、売れなかったということだろうか。
ということは、やはりショパンのほうが上。
なんか。微妙(昨日も出ましたね?)
それが現代の人気の裏付けでもあるかのようだ。
日本語だと、「シュ」と「ショ」、おまけに中がちょい違う「シューマン」「ショパン」くらいなのに、なんだかなあ。
えらい違いである。
このままだと、ショパンにたどり着けずシューマン(中級以下)で人生終えるのかもと焦りまで出てきた。
他の作曲家なんて、夢のまた夢である。
しかし、Youtubeでシューマンの曲を少しずつ聞いていくうちに考えが変わってきた。
シューマン先生、時代があってなかったんじゃ?
ピアノを弾いているくせに無勉強なぶどうさん。
音楽のことはさっぱりとわからないが、シューマンの曲は、なぜか音楽と、映像や語り独り言、気分とういうものがちょこちょこ入り込んでいる気がする。
あの時代、本や写真はあったかもしれないけど、未来に2次元→3次元→2次元の、音楽と映像がセットになった映画やテレビ、アニメができるなんて想像すらできなかっただろう。
そんな音楽っぽく思える。
それでも曲はザ・クラシックなので不思議系だ。
(素人の言うことだから、笑って許してください。)
そう気が付いたら、ちょっとシューマンの曲が面白くなってきた。
沼にはまると、出れなくなるかもしれない。
というか、人生の時間シューマンで時間切れにならないようにしないと。
なにしろ、1曲弾けるようになるまで相当な時間が必要なへたくそだから。
ピアノを始めて1年。
方向性が見えてきた。
まずは献呈目指して、あわよくばショパン先生の有名曲に生涯で1曲でもありつきたいぶどうであった。