こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
雨が降り、気温がぐっと下がりました。
静かな雨です。
しっとりと、秋を味わう日になりそうです。
一週間お疲れ様でした。
楽しい週末をお過ごしくださいませ。
本日、通院のお話です。
定期的に病院に通っているぶどうさん。
持病の腎臓病は症状が落ち着いているため、3~4カ月に一度の通院で経過観察中である。
確定診断されてから20年以上たち、今でも普通の生活を送れるのはありがたいことだ。
腎生検後に予後不良と診断を受け、一時期は不安と絶望があり覚悟を決めた。
実は、ぶどうさんの母方には腎臓が悪い人がいた。
祖母と、叔母だ。
祖母は早くに亡くなったので顔さえ知らない。
叔母は、20年以上透析をしていたが、50台で亡くなった。
30年以上前のことだ。
今とは腎臓病へのアプローチや透析の技術は違うだろうが、透析を長年続けることで体がボロボロになることを身近で知っている。
子供の頃、食事制限、水分制限などしている叔母の姿を見ていたので、腎臓病は大変な病気だと感じていた。
そんな叔母はしかし結構飄々としていて、制限の中でいろんな工夫をしており、あまり悲壮感がなかった。
大好きな叔母だっただけに、早く亡くなったことが悲しかった。
けれど叔母がいたからこそ、こうしていられるのかもしれない。
50半ば過ぎて、普通に食事をし、自由に行動できる毎日はありがたいものだと感じる。
こうなると欲がでて、100歳まで長生きし、普通に生活できればと思うようになった。
しかし現実は甘くはない。
今までの検査結果を時系列で追ったところ、透析まで何年という数値がはじき出された。
甘く考えても、あと20年ほどで腎機能が落ちて、透析になるかも・・・との予想が重くのしかかった。
20年と言ったら、70半ば。
そんなの嫌だ。
100まで元気に、長生きするぞ。
ついでにピアノを弾き続けるぞう。
じゃあどうすればいいのだろうと模索していたが、結論はやはり腎機能低下を緩やかにするしかない。
それが可能か否かはわからない。
お医者さんによると、今の状態から投薬を選択することを考え始めていいかもということだった。
例の干しイカである。
近未来に他の薬の承認も期待できるかもしれないし、しばらく静観して選択肢が増えてから考えられればなあと思い返事は延ばすことした。
それまでは、日常でもっとなにかできないか、もっと真剣にやらなければと決意した。
最近だらしない生活態度だったぶどうさん。
病院に行って、検査結果を見て、お医者さんとお話して、考えを改めた。
経過観察の通院は、時間とお金の無駄なんかでは決してない。
定期的にいくことで状況を把握し、喝を入れ、・・・まあたまに決意を忘れ・・・また冷や水を浴びて更生する。
その繰り返しで、なんとかやってこられていると思う。
病気にならないのが一番だが、なってから、どう維持するか、付き合っていくか、あわよくば寛解に持っていくか。
そのためにも、通院は意味のあることである。
もし、気になっていることがあり、通院しなきゃだけどほっといている人。
きちんと管理するためにも自分以外の誰かの伴走をつけてくださいね。
一病息災で、元気に長生きしましょう。
心身共に健やかで、楽しい人生にしましょう。