こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
今日は安倍元首相の国葬の日ですね。
長年重大な責務を遂行してくださりありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
本日、ピアノは誰のもの?のお話です。
ウェブ漫画が好きなぶどうさん。
ただの野次馬である。
今月のどこかで、ちらっと見た漫画に考えさせられたのでちょっと話題に取り上げたい。
表題や書かれた漫画家さん、どのサイトだったか、今調べてもわからないのでそこはご容赦頂きたい。
また、覚えている限りの内容なので、間違っていたらごめんなさい。
大体の内容は、次の通り。
姉弟の二人兄弟のうち、子供の頃に使っていたピアノを、誰がどんな形で持っていくのが正しいのかというお話。
結論は、お姉さんがもっていった。
姉、弟の二人兄弟はともに結婚して家を出て、それぞれ子供がいる。
姉の子供がピアノを習うというので、実家のピアノを持っていくということに対し、弟のお嫁さんがそれはズルいと言い出した。
弟の家は子供が生まれたばかり。
お義姉さんの子供はタダでもらえるのに、うちの子がピアノを習うと言い出した時に、自分のこところは高価なピアノを買わないといけないのは不公平だと。
それを聞いた弟の方も、不公平だからピアノの半額分をくれという。
それを聞いたお母さんが、これまでの家計簿を見せて、姉弟平等にやりたいことはお金をかけてきたし、なんなら弟の方がけた違いにお金がかかっていると説明する。
弟は納得したが、弟嫁さんは納得しない。
なぜなら、実家に置いてあるピアノをいつか欲しいと思っていたから。
けれどそのピアノはもともと姉が使っていたもので、実家に置いたままでは意味がない上維持費がかかるし、思い入れもあるから子供に使いたいと引き取る(姉夫婦が運搬費負担)ことにしたもの。
結局お母さんが折れて、弟夫婦に5万円お金を出すと申し出た。
弟嫁さんのお母さんも5万円だすといい、それで電子ピアノを買うことにしたら?となる。
弟嫁さんとしては、それで納得、ただし、今後も孫差別がされるんじゃないかとちょっと心配している・・・というので終わった。
・・・なんか、ずいぶん変な話なのだが、こんな感じだった。
得しているのは弟夫婦だけのような気がするのは、ぶどうさんだけだろうか・・・
そもそも祖父母がピアノまで世話しないといけないのだろうか???
お姉さんとお母さんの対応以外突っ込みどころ満載で、かつ弟嫁さんの思考回路が全然わからないのだが、兄弟とその配偶者が絡むと妙なことになるのだなあと感心した。
本題に戻り、実家のピアノは、だれのものか。
子供が弾いていたピアノが家に残されたままというのは、結構ある話だと思う。
誰も弾かないから、売ったという人、自分が習い始めたという人、子供が持って行ったという人。
処分の仕方は様々だろう。
置きっぱなしのピアノは仏壇と化し、非常に邪魔だ。
弾かなくても定期的に調律が必要で、ピアノはあるだけでお金がかかる。
このお姉さんのように思い出のピアノをまた活用するのは、実家の親にとってもご本人にとってもとても良いことだ。
ただ、そのピアノを使っているのが複数人いて、みんな持っていきたいとなったら、じゃあ誰のものなんだろうと言うのは考えたことがなかった。
実際ぶどうさんも、実家のピアノを持ちだし使っている。
基本ぶどうさんのために買ったものだと兄弟が認識していたし、その当時兄弟は結婚しておらず子供がいなかったので、持って行ったところでクレームはなかった。
時期がずれて、甥や姪が生まれていたら、こういう問題が起きたのだろうかと、初めて気が付いた。
確かにピアノは高価だ。
置くための環境や場所、維持費も必要だ。
習うなら、レッスン費用、子供なら送迎が必要だ。
贅沢な習い事ではある。
今の世の中ピアノは良い習い事とみなされているから、子供が生まれたら性別関係なくさせたい親御さんは多いだろう。
それでピアノの所有権をめぐってひと悶着起きたんだろうか。
でも。
子供がピアノを習いたいかどうかを確認してから用意しても遅くはないのではないだろうか。
習い事にはいろんな選択肢があるし、やってみてあうあわない、がある。
ぶどうさんはピアノを弾きたいから実家のピアノを持ってきたし、今ではそれが良いタイミングかつ正しい選択だったとさえ思う。
なぜなら、実家の処分をするとき、ピアノを運び出さなきゃというミッションがなかっただけ楽だったから。
他の兄弟はそのことに関しては何とも思っていない。
子供がピアノをやっているそうだが、自分たちで用意したようだ。
皆集合住宅に住んでいるので、住環境に合わせたものを所有している形になった。
たぶんピアノだけではなく、高価な、昔は所有者が決まっていて今使用者がいないものは、こういったトラブルになることもあるんだろう。
弟嫁さんの最後の心情に首を傾げてしまったこのお話だが、改めて兄弟はいてよかったのかもしれないけれど、長じては線引きしないといけないと気が付いた一件であった。