こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
なんと!もう石焼き芋屋さんが回ってきましたよ。
お芋、とれたんですねえ。
おいしそうだけど、まだ暑すぎやしませんか・・?
焼き芋屋さん、旬のお知らせありがとう!
本日、答えは身近に、のお話です。
今後のピアノ方向性を探るため、戦略を立てたいぶどうさん。
ド素人が考えても埒はあかない。
ここは、お師匠さんのおすすめに従ってみようと、「シューマンのアラベスク」の正体を知ることにした。
アラベスクといえば。
ブルグミュラー、ドビュッシーしか思いつかなかった。
しかしピアノ曲としては、シューマンの名付けが最も早いらしい。
へー。
ブルグミュラーのアラベスクはあまりに独特な強烈さ、ドビュッシーのアラベスクは美しいイメージだが、さて、シューマンは?
聞いて第一印象は、エンドレスな、メランコリックな、とらえどころがない感じ。
いいや、誤魔化せない感じ?
そしてなんだか子供の情景とかがチラチラする気がするし。
色んな人の演奏を聴けば印象は変わるだろうと、毎度のYoutube頼みをすることにした。
すると、すぐにヒット。
ピアニストのCD(レコード?)のものが多い中、レッスン物の動画がみつかった。
よくよくみると、懐かしい。
昔NHKでやっていた、スーパーピアノレッスンが、シューマンのアラベスクを扱っていた。
ピアニストのマリアジョアンピレシュさんが、ブラジルを拠点にしたワークショップ施設で、世界中から選んだ若い人たちの指導をする回のひとつだった。
アラベスクのレッスンを受けるのは、11歳のオランダから来た男の子。
いやー、もう、びっくりです。
なんと素晴らしいのでしょう。
演奏もですが、その年齢でこの曲をとても美しい曲だと言う、その感性。
50半ばのおばちゃんでさえ、ピンと来てないというのに。
(ぶどうさんの感性が鈍いだけだけど)
音楽的なことはわからないのでここでは省略する。
シューマンから始まり、スカルラッティ、ショパン、モーツアルトといろんな曲で、国際色豊かな若者たちがレッスンを受けていく。
じっくりと見る時間がなかったので端折ってしまったのだが、それぞれの回でピレシュさんは素晴らしい発言をし、気付きを与えている。
とくに素敵だなと思ったことがある。
「wantではなく、wish」を。
つまり欲しいではなく、願うという気持ちが大切と言っていた。
欲しいとは、所有であり、内に向かう力だけれど、願うというのは、外に放ち自由になることだといったことを話されていた。
例えばピアノを上手に弾きたい、ではなく、ピアノが上手に弾けるよう願う、こんな感じだ。
とても素晴らしいお話だなあと、感動した。
一方で、願うという形が、日本人にしっくりくるかというと違うような気持がした。
願うというのは神様が前提というか、少々他力本願で(いい意味の)、キリスト教などの宗教を背景として持っている文化に非常にあっていると思った。
日本でも神社の神様に願うし、他力本願系の宗教はいくらでもある。
願うという考え方はいいけれど、なんかこう、もっと自他にとって能動的なものがないものかと思いめぐらしたら意外なところに答えが落ちていた。
信じる、だ。
believe
自分も他人も信じること、神もすべても信頼すること。
細かく言うと、faithとかになっちゃうのだけど、まあ日本語だからいいじゃない。
この単語、ビリーブは、最近夢中になっている「ちいかわ」にでてきた、歌の名前だ。
なぜに突然再びこの歌が??と、多分日本全国のちいかわファンは疑問をもっているかもしれない。
(え?もってない?失礼しました)
これが、ありがたいことにぶどうさんへのヒントになってくれた。
答えって身近にあるものである。
ピアノの方向性に悩んでいたぶどうさん。
上手になりたいとか、人前ではうまく弾きたいとか、そういうのは欲望だ。
常にwantばかりを膨らませ、抱いているのは健全とはいえない。(多少は必要ですよ!)
上達しますように(と無心で練習する)、うまく弾いて楽しんでもらえますようにと(あとは神様or運にまかせる)と、wishへ意識を向けよう。
さらに、きっと上達する、素敵な演奏会になると信じる方向性を自身で持たなければと思った。
巨匠たちの指導がみられるスーパーピアノレッスン。
探してみてくださいね。
実は当時、テキストだけ購入したものの、中身がさっぱりわからず1回で見るのをやめたことがあるぶどうさん。
買ったテキストは、モーツアルト。
つい2年前まで手元にあった。
決して弾きそうにないと思い、断捨離。
今思えば、もったいないことをした。
まさかこんな世の中になっているとは、そしてぶどうさんが再びピアノを弾くとは。
人生わからないことだらけ。
でも、答えは必ず身近にあるものだ。
上手に謎解きして、楽しみながら生きていきましょう!