こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
非常階段に大きな蝉が転がっていました。
夏のおわり、でしょうか。
心なしか空が青く高くなってきたような気がします。
暑さが和らぐといいですね。
お元気にお過ごしください。
本日独り言、のお話です。
一人黙々と放置していた家事を片付けていたぶどうさん。
お風呂や台所の換気扇や、換気口の手入れは、放置しようと決め込めばそんなに躍起になってするものではない。
人によっては外注したり、数年手入れしてない・・・なんて人もいるだろう。
それでも、手入れをすれば「やってないことが山積みで、やらなきゃやばい」という強迫観念に苛まれることはないし、おうちはきれいになる。
頭も心も、そしておうちも、きれいさっぱり!で清々しい。
めでたしめでたし。
・・・ではないなあと、作業をしている中気が付いてがっくりした。
ぶどうさんがやっていた作業は、いわば家の設備の手入れである。
しかも、家には必ずついているものだ。
台所の換気扇、風呂の換気扇、換気口、網戸。
どの家にも当たり前についている。
家って、住む人が必要とするものが設置されているが、上記のものはほぼ100%採用されている。
え?何を言いたいの?って?
つまり、家の設備というものは、つけていれば必ず手入れや手間=世話を要求するものだ。
ぶどうさんは集合住宅住まいなので庭や外回りに手を入れることはないが、それでも結構な数の設備を家に有しており、その世話をしなければならない。
それに対し、非常に面倒な気持ちになっている。
が、世話を要求するものは、家の設備だけではない。
自分の持ち物も、持っている数だけ世話を要求しているということに気が付いてしまった。
小さいものは忘れ去ったり目をつぶれるかもしれないが、目に見える大きいもの、常に目に付くものは、存在が半端なくわかりやすい。
大きい小さい、見える見えないに関わらず、ものは常に無言で世話を要求しているとすれば。
ものがあれば、あるだけの要求が、家の中で飛び交っている・・・?
なんとも恐ろしい事態である。
それにこたえているのか、応えることができるのだろうかと、自信がなくなってきた。
人は家に住まねばならず、その家にさえたくさんの設備や世話をしなければならないものが付いているうえ、そこに持ち込むものが加わると、とんでもない手間や時間をとられることになる。
それに無自覚だった自分に気が付いた。
そういえば、最近似たようなことに頭を痛めていた、
ベランダの植物だ。
気に入って購入した観葉植物だが、育てれば大きくなるし増えるし、その分手間が倍増していくし、ベランダは汚れていく。
自分達が集めた、自分たちのために集まってくれた植物だが、予想外の繁殖力に戸惑ってもいる。
ものも、植物も、あればあるだけ、世話がいるのだ。
もちろん、お気に入りで、大切にしたくて、世話が楽しくてしょうがない場合はあるが、どちらかというとやらなきゃという義務感でやることの方が多い。
現在終の棲家探しで、戸建てを希望しているぶどうさんち。
集合住宅と違い、さらに設備や見なければならない機器類が増えるだろう。
自分達の手におえるのだろうか。
いや、計画前だからこそ、自分たちの手におえる範囲の、設備の、家を建てなければ。
もちこむものを絞り込み、簡単に手入れできる収まり場所を設けるよう計画しようと思う。
昨日のお話はおバカな失敗ではあったが、良い気付きになった。
もちものは多ければいいという時代は終わったのだ。
50台のこれからは、コンパクトでお手入れ簡単な家に住み、管理できる量のものと暮らすようにしよう。
そう心に決めたぶどうであった。