こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
来月の用事を簡単にするため郵便局に行きました。
コロナの影響でお休みでした…。
窓口も、ATMも、すべてです。
そういえば、スーパーもお休みでした。
こうなるとお手上げです。
想像したことのない事態に、驚きました。
みなさまのお住まいの地域はいかがですか。
何とかやっていくしかないのでしょうね。
頑張りましょう!
本日、面白い記事のお話です。
ネットニュースを見ていたら、面白い記事を見つけた。
駄々をこねて自分の要求を通す子供のことを、「王様こども」と一部で言っているらしい。
記事では、言いえて妙だと言っていた。
確かに、お店で大泣きする子供を見たことはある。
昔からそういう子はいる。
今でも、多分いるだろう。
けれど、そんなに度々みることはなくなった。
この頃の子供は財布の数が多いし、子供の数が少ないので欲しいものは買ってもらえそうだし、昔より聞き訳がいいのかしら、と思っていた。
一方家庭内でのことは、よくわからない。
内弁慶な子供はいるだろうし、そういったことはその家庭内でしかわからないことだ。
現在50台半ば、夫婦二人くらしのぶどうさんち。
子供はいないし、孫もいない。
子育て経験、ついでにペット飼育経験ともにゼロである。
よって、子供にしろペットにしろ、実態が分からない。
自身の子供の頃の家庭における記憶くらいしか、子供の生態はわからない。
で、自分が子供の頃どうだったか考えてみた。
子供時代は、昭和の時代でかつ、まだ日本が物質的、資本的に豊かではなかった頃。
欲しいものをホイホイ買ってはもらえなかった。
イベント時には、プレゼントを買ってもらえたりはした。
社会が、やれクリスマスだ、誕生日だと、イベントを盛り上げるようになったからだ。
けれど親がダメと言ったら、ダメ。
お父さんはやさしいけれど怒ると怖く、お母さんはやさしく、いろんなことを教えてくれる人であった。
他所に比べたらたぶん甘い親ではあったけれど、まだ親の威厳があった。
他の家はどうだったかは知らないが、友だちの親御さんは似たような感じだったから、当時はそれが普通?か。
冒頭の「王様こども」の親御さんは、20-30台後半くらいなのだろうか。
そうであれば、その親はぶどうさんたちの世代を親に持つということになるだろう。
まだ親の威厳を持った世代の子供が親になって、王様こどもの親になる、ということか?
なんだか複雑である。
時代によって家庭や家族の役割は変わるのかもしれないが、今の親世代というのがぶどうさん世代の価値観を受け入れてこなかったということだろうか。
ぶどうさん世代の価値観が絶対ではないとは思うが、親の威厳はあったほうがいいと思う。
ここで言う、威厳とは、専制や支配のことではない。
親は親らしく、子供の見本となる存在であることみたいな意味である。
新しい価値観を創造し、良いものを受けついでいくということは、素晴らしいことだ。
親の威厳なんて古臭いものは、いらないもの、なんだろう。
威厳はいらないのかもしれないが、王様こどもにならないまでも友達親子みたいになるのは、どうなのかと思う。
小さな子供にしろ、小学生にしろ、親に「○○して。」と言っている子供を見るにつけ疑問が湧く。
それがトレンドなんだろうか。
なんだかんだ言って子育て経験がないので、ただの批判であり愚痴である。
それは重々承知なのだが、子供の地位が上がりすぎている家庭が多い感がするのは時代に逆行しているのか、はたまたそういう流れなのか。
外国のように「プリーズ」と「サンキュ」を最初に教えようなんてことを、この国で言われないのが残念だ。
ずいぶん昔、知り合いが「子供を育てる前に犬を育てるべきだった」と言ったことを思い出す。
一人娘をとても大切に育てている人で、子供中心の生活をなさっていた。
よくできたお嬢さんで、子育てに失敗しているわけではなさそうだけど、子供とのかかわり方に関しペットとのかかわりの中で学ぶべきことがあったと思ったのだろう。
命を育て一人前で送り出すことは、とても大変なことだろう。
子供は社会の宝とは、その通り。
その子が自立して社会でうまくやっていけるよう、親も周囲も教育したり見守ったりがかかせない。
だから、ダメなものはだめ、自分が悪かったら謝る、素直にハイと返事するという基本的なことを小さいうちから徹底することは今も昔も変わらないいはず。
結果的に子供が困らないように、そのまた子供がきちんと育つよう、大人も子供も一定のルールを作らないといけないと思う。
時代は2000年代にまできて今更で情けないが。
王様こどもという言葉は、一過性のものだろうか。
長引いて社会問題化するまで放置されないようにと心配するぶどうであった。