こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
お天気が不安定ですね。
雨が降って暑さが一休みになるといいですね。
本日、ふ~ん、なお話です。
パソコンを開くと。
ホーム画面にいろんなタイトルの付いた記事やコラムが並ぶ。
数年前まではちょっとだけスクロールすると最下端まで行けたのに、この頃はなが~い件数連なっている。
ほとんどがコロナ関連とか、世間を騒がせている事件、芸能、CM。
その中に、漫画の記事が入り込んでいる。
その漫画というのが、コマ数がいくつかの、日を分けて連続して掲載されるもので、中身がほとんど身近なトラブル系だ。
その身近なトラブル系は本当に身近なものから、おおよそ思いつかないような内容のものまでさまざま。
ついつい野次馬根性がムクムクと頭をもたげ、みてしまう。
ぶどうさん、漫画が大好き。
漫画だと読みやすい。
でも、漫画を読みなれない人は、漫画って読みにくいらしく、特に4コマ漫画をすぐには理解できないらしい。
そういう人は文学のほうがお好き?
まあそれはここではどうでもいいのだけれど。
こういった漫画のどこに興味があるかというと、どんなトラブルが起こり、それをどう解決するのか、どういう結果になるのかというところだ。
隣人、友人、ママ友、親子、義家族、兄弟、夫婦間。
人がいれば摩擦は生まれるし、そのままとはいかず、関係を続けるとなればなんとか解決せねばならない。
関係を断絶するにしても、何らかのアクション、例えば離婚とか絶縁とか、引っ越しとかを迫られる。
摩擦が悪かというと、その結果良い方向に行く場合もあり、なんとも言えないようだ。
生きていく限り誰かと関わらないと、生きてはいけない。
関わりが喜びである人は幸いだけど、そうでもない人は結構辛い人生なのだろうか。
ぶどうさんはどっちかというと、そんなに多くの人と関わる人生ではない。
狭い世界の中に住んでいるし、たくさんの人と交流する機会もない。
それが案外心地よかったりする。
少ない中どうしてもかかわらなくてはならない人達がいるにはいるが、正直全然関わりたくない。
だから、上記の身近なトラブル系に惹かれるのかもしれない。
自分の厄介な人間関係部分を鑑み、漫画での解決策を参考にしようとしていたのかもしれない。
そんなぶどうさんだが、ある日、ふと気が付いてしまった。
いらないものは、いらないよね?と。
なんでいらないのにしがみつかなきゃならないんだろうと。
他人は変えられないし、変える必要はない。
そのままで、その人はパーフェクトなのだとしたら。
ぶどうさんもパーフェクトなはず。
お互いパーフェクトで、合わないなら、いらないよね、と。
そのとき、ふと浜田省吾さんの歌詞が頭に浮かんだ。
「受け入れるか、立ち向かうか」※
うん、どっちも、いらん。
受け入れたくも立ち向かいたくもない。
エネルギーの無駄である。
いままでは、合わない人を受け入れようと苦しみ、自他を変えようとあがき、ダメなら敵視する、嫌う…そういった無駄極まりない心の動きをしていた。
人生無駄遣いだ。
これからは、心に素直に感情をきき、心の無駄遣いをしそうな人に出会ったら、そっと身を引くことにしよう。
人生100年時代、もっともっと自分と時間を大切にして、省エネして長生きしなくては。
その方法は、自分だけを大切にする行為ではない。
相手の時間やエネルギーを奪わない観点からも、悪いことではないはず。
関わる人がよい人生を選び取れるように、これからは柔不断をやめ、きっぱりと選択することにした。
誰にとっても人生一度きり。
自分の人生も、他人の人生も、よりよくするにはどうしたらいいか。
よくよく考えて、毎日を生きていこうと決めたぶどうであった。
※(多分、 ニュースタイルウォーという曲だったような・・。古い曲だけどまさに現代の状態を表していると思う。)