こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

お天気が不安定ですね。

 

考えてみれば、普通ならまだ梅雨明け前くらい。

 

当たり前のお天気なのに、「梅雨明けした」宣言されれば、変なお天気となるんですねえ。

 

不思議。

 

今日は金曜日です。

 

素敵な週末をお過ごしください。

 

 

本日中と外のお話です。

 

 

この頃夢から覚めつつあるぶどうさん。

 

え?夢って?

 

寝てみる、あの夢ではない。

 

説明するのは難しいが、今おかれている状況にどっぷりつかっている状態のことだ。

 

覚醒や解脱とか、そういった高尚なことではない。

 

そんなに人間出来ていない(笑)

 

本当に覚めつつあるのかはわからないが、今まで当たり前としていたことが当たり前なのかと一考するようになってきた。

 

自分を中心とした世界では当たり前でも。

 

他者が中心の世界では、それは異端かもしれない。

 

けれど自分や他者の世界が絶対に正しいわけでもない。

 

だから、自分を外から眺めることにした。

 

中心にいながらも、相対的な立ち位置を見極めようというのだ。

 

これがしかし、なかなか難しい。

 

なにしろ、自分で自分を洗脳しているから、見えるもの見えているものを見ていない。

 

おまけに、ちょっと頭の働きがのろいので、時間が経ってから

 

あれ?????

 

と気が付いて、ことのおかしさに煩悶する始末。

 

それでも、ぶどうワールドの中で眠っている自分が、薄眼をあけて目覚めつつあるのかもと思えるようになってきた。

 

まるで目覚めることが良いことのように言っているが、目覚めることが目的ではない。

 

たぶん、本気で目覚めたら・・・

 

薄々気が付いていた家族や社会、世界の矛盾に気が狂いそうになるかもしれない。

 

目覚めて知ったところで、誰も変えられない。

 

何もできないだろう。

 

それに誰かを変えることが目的でもないし。

 

人は生まれ出て、死に向かって生きるという大きな矛盾を抱えている。

 

死後の世界や生まれる前の世界がどうのというのはわからないが、普通人生って、生まれてから死ぬまでの軌跡をいう。

 

それがどんなものか、知ってから死にたいなあと思うのだ。


生きることは、死ぬまでのみちのり。

 

死ぬことは生きることのおわり。

 

これは当たり前のようだけど、本当に当たり前なのか、そうじゃないのか、よくわからない。

 

眠ったままでは、なんにも見えてこない。

 

でも眠ったまま生きて、死んで・・・目覚めるなんて、ホラー劇場に近い。

 

いかんいかん。

 

そんなんじゃ、折角の人生がもったいない。

 

だから、生きている間自分の世界の中心にいても、外からその世界を見れるようになりたい。

 

ある人はそれを客観視といったり、俯瞰というひともいう。

 

色んな視点をもって、中から、外から、自由自在に自分を、世界を見つめることができれば、人生思い残すことはないだろう。

 

もう2度とない、ぶどうさんとしての人生。

 

100歳まで生きるとして、あと40年余ある。

 

喜びとたのしさをもって精一杯生きよう。

 

そんな人が日本中、世界中にいたら、もっともっと国も世界もよくなるのではないかと希望をもって。

 

視野を広げ、いろんな視点をもって、中から外から自分を見つめてみませんか。

 

人は変えられないけど、自分は変われます。

 

自分が変われば、他人の見方も他人とのお付き合いも変わります。

 

とりまく世界を変えるには、まず自分から、です。

 

自分も他者も幸せになる方向を選択して、人生豊かにいきましょう。