変わってもいい | たをやかなるみち

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豊かに美しく生きる大人の女性へのみちのり

 

こんにちは。

 

お天気が不安定な日が続きますね。

 

熱中症に気を付けて、お元気にお過ごしください。

 

素敵な週末をお過ごしください。

 

本日「かわってもいい」のお話です。

 

 

昨年秋からピアノのレッスンを再再開したぶどうさん。

 

子供の頃にピアノをやめ、その後30台になって再開し、ふたたび辞め、50半ばで再再開した。

 

やめた理由は、ピアノが楽しくないからとか、嫌になったからというわけではない。

 

一旦やめても懲りずに始める気になったということは、好きではあるのだろう。

 

第三ステージ、さていつまで続くかな。

 

30台で再開したときも、50半ばで再再開したときも、どちらにおいても、将来の見込なんて全くないのは同じ。

 

子供の頃にやめたことからわかるように、才能のかけらさえなかったのは自分がよく知っている。

 

だからこそ、今からのピアノは気楽であるし、この調子だと一生やり続けられそうではある。

 

人生退屈しそうにないのは、喜ばしいことである。

 

子供の頃は全然練習しない子供だったので、さっぱり教材が進まなかった。

 

恥ずかしながら高1になってさえ、まだツェルニー100番とソナチネアルバムを弾いていたのである。

 

笑うしかない。

 

月謝を払ってくれる親にも先生にも悪いし、音大に行くわけ(行けるわけない)ないのでピアノをやめたのである。

 

ピアノは嫌いではなかった。

 

ただ、圧倒的に上手な人が周りにいて、自分はだめだと恥じていたのであっさりやめたのである。

 

結婚後、しかしピアノを弾きたいと思ったので夫にクラビノーバを買ってもらった。

 

エレベーターのない古い団地すまいでは、音は駄々洩れ、苦情殺到間違いなし。

 

電子ピアノが精いっぱい。

 

たまたま近所にピアノ教室の看板があり、気になっていたので、しばらくして習いに行くことにした。

 

プロのピアニストになるわけではないし、ピアノを弾く目的なんてさしてなかったが、習いに行ったには理由があった。

 

あの時中途半端に終わっていた、ツェルニー100番とソナチネアルバムを終了したい。

 

ただそれだけだった。

 

電子ピアノの、大人の生徒ということがあったせいか、先生は指導的なことはあまりなく、(ツェルニー100番だもんねえ)弾きたい曲をただ仕上げるのに付き合ってくださった。

 

先生のお宅のピアノはアップライトだったので、電子ピアノでもなんとかなったのである。

 

ツェルニー100番がなんとか終わり、30番に進もうかというとき、夫の転勤で西の国に引っ越した。

 

そこで新しい先生を見つけられたので続けることにした。

 

懸案のソナチネアルバムもそこで終えた。

 

当初の目的達成である。

 

ところがぶどうさん。うっかり先に進んでしまった。

 

さすがに電子ピアノでは先生のお宅のグランドピアノを弾くことが難しくなり、実家からアップライトを運び込む入れ込みよう。

 

ただ、一つ困ったことがあった。

 

2人の先生はどちらも教室発表会をしていなかった。

 

それは、喜ばしいことだった。なぜなら、そこに時間をとられないから。

 

でも2人目の先生は、その代わり某会での演奏を推奨する方だった。

 

ぶどうさんとしては、それが嫌であった。

 

先に進みたいのだ。

 

憧れの曲を弾きたいというわけではなく、もっともっと教材のレベルを上げたかった。

 

人前で演奏するとなると、同じ曲にかなりの時間を費やしてしまう。

 

それは嫌だったのだ。

 

そのときは先に進む期間だと思っていたし、人前での演奏も嫌だった。

 

今となっては、それも貴重な学びでありステップアップでもあると思えなくもないが、その当時としては、とにかく先に進みたかった。

 

ピアノが弾けるようになりたかったのだ。

 

(↑これも、勘違いではあるけれど)

 

また、某会のあり方も、ぶどうさんとしては疑問があった。

 

地方在住者は機会損失が多いが、こういった会も、都会在住者に有利であり、なじめなかった。

 

悩み多き中、ピアノを弾いている仲間との間で居心地の悪い出来事があったり、先生と行き違いがあったりで、ピアノに関係する人が信用できなくなってしまった。

 

それ以来ピアノが楽しいとか嫌いとかではなく、ピアノ自体弾きたくなくなったし、弾けなくなった。

 

以来15年ほどピアノを触ることなく、まさに仏壇として転勤の度引っ越しで持ち回ったのである。

 

とうとう捨てようかと思ったが、それは思いとどまるよう夫に説得され、父が生きている間は持っていることにした。

 

あんなに邪魔だった、ピアノ。

 

それなのに、ふたたび始めることになった。

 

現在住んでいるところに引っ越したばかりの頃。

 

ひょんなことから、昔交流していたピアノの先生が近くに住んでいることを知ったのである。

 

今のお師匠さんだ。

 

その方がピアノの新年会に呼んでくださったのをきっかけに、またやってみようという気持ちになった。

 

2年はかかったけれど。

 

そして今、毎日(たまにさぼるけど)ピアノの練習をしている。

 

またまたツェルニー30番なのが笑える。

 

昔西の国に初めてきた時も、30番からだった。

 

最初に戻る。

 

いつも弾ける場所にあったのに、蓋を開けることさえなかったピアノ。(掃除はしていたような)

 

こんどは、緩く、楽しく、続けていこうと思う。

 

元には戻ったけど、50台半ば、あの頃より年をとり、目が悪くなり、頭の映りも悪くなり、体もついていっていない。

 

先にすすみたい一心で頑張ってたあの頃とは、ピアノを弾くことへの気持ちは変わっている。

 

でも、変わってもいいんだ。

 

その時々で、自分自身が心も体も変わっているのだから、気持ちが変わるのは当たり前。

 

人生100年時代。

 

それぞれのステージで、目いっぱい楽しみながら人生謳歌しようと決めたぶどうであった。