こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
野良猫が夢中になって車のにおいをかいでいました。
何があるんでしょうねえ。
明日も元気でいてね!
人間のほうも、元気出していきましょう。
本日としをとること、のお話です。
現在50台半ばのぶどうさん。
いつのまに年をとったのだろうと、最近改めて驚いている。
20台、30台がつい最近のような気がするが、あっという間にここまできた。
あ、若い人、笑ったね。
そんなもんなの?って気持ちできいといてね。
70台以降の方々は・・・。
多分、まだまだ若い、これからだよって思ってくださるだろう。
一足飛びで50半ばのオバサンになったわけではない。
ちゃ~んと、50数年の日々を地球上で生きてきた。
一日、一週間、一カ月、一年の積み重ねは誰にとってもひとしく同じだ。
その積み重ねで・・・50越えて、あと数年で還暦を迎えようとしている。
いやあ、びっくり。
驚く理由は、いくつかある。
たとえば、子供がいない事。
子供がいるご家庭では、自身の役割が子から親へと変わるし、目の前にはどんどん成長していく人間がいるのだから、時間の経過がわかりやすい。
子供がいない家庭である我が家は、ある意味時間が止まっている。
また、親が長生きだったからか、いつまでも子供気分が抜けなかった。
さらに、兄弟が皆50を超え、還暦を迎えたことも大きい。
これらのことでようやっと、
あ、年をとってる!
あ!あと数年で還暦だ!
そんな自覚が芽生えたのである。
実はぶどうさん、50台が楽しみであった。
ずっと前、とあるミュージシャンのかたがおっしゃったことが印象に残っていたからだ。
うろ覚えだけれど、こんな感じだった。
50台以降になれば楽になる、と。楽しみにしといて、とも。
これを聞いたのは、40台。
とても苦しい日々を過ごしていた時だった。
どういう意味だろうと、いろいろ想像して・・。
今に至る。
正直言うと、そんなに楽にはなっていない。
楽しいかというと、それも微妙。
ただ、今になって見えてきたものがある。
40台でしがみついていた価値観を自発的にも強制ででも手放すことになって、変わったと思う。
諦めといえば、そうかもしれない。
見切りをつけたといえば、聞こえはいいけど。
結局人生は自分で選んで、時には諦めて、また選び直し、やり直して進んでいくものだ。
年齢だけを理由にしてはいけないけれど、生物的なお約束事を加味しながら、生きていく必要もある。
40台で想像していた、50台の楽(ラクやたのしさ)。
思った通りのことも、想像できなかったこともあったが、決して悪い方向にはいっていない。
わかったことは、ある。
その年齢にならなければわからないことがある、ということ。
老いるということは、恐怖ではある。
けれど、50台の楽のように、年をとればわかることがあるという希望もでてきた。
年をとってわかることがよりよいものであるために、今できることはある。
漫然と年をとるのではなく、今を一所懸命生きて、うれしい手放しをしていくことだ。
諦め、ではなく、見切って、新しいステージに進んでいく勇気を持ち続けることだ。
100歳まで自力で暮らしていくつもりのぶどうさん。
夫婦二人で、なんとかかんとかやっていこう。
年をとることは、お約束だ。
それに続く死もまた、同じ。
一人の例外もない。
齢を重ねることで多くの実りがもたらされるとなれば、誰しも老いを恐れることはなくなる。
そんな未来がくるといいなと思うぶどうであった。