こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
ストーブと入れ替えに扇風機をだしました。
出したものの、使わなかったストーブ。
考え時です。
いらないものは処分してすっきりしたいものですね。
楽しい週末をお過ごしください。
本日「お客さん」のおはなしです。
客用布団についてあれこれ言った、前回のブログ。
結論としては、今あるものか貸布団を利用する、将来的には客用布団も客室も持たない方向で考えることにした。
これからぼちぼち片づければ、今の家なら子供一人くらい寝る場所は確保できる。
ただ、終の棲家を買う時は、各自の部屋は検討するがお客さんのスペースは考えないことにした。
ところで、お客さんってなんだろう。
英語で言えば、ゲスト?
ゲストなら・・。身内は含まないのだろうか。
血のつながった人は身内なのだから、お客さんじゃないってことだろうか。
そうすると、お客さんって、自身を円の中心としたとき、友人含む外の関係の人ってことなのだろうか。
世の中血のつながりがなくとも親子・兄弟関係があったりするから、そう単純じゃない。
親子関係やら兄弟関係と認定する相互意識があれば、友よりは円の中心に近い身内でもいいのかもしれない。
(身内って言葉も、考えたらすごい言葉だ)
通常お客といえば、訪問してきて、お茶やら食事をしてしゃべってサヨナラするくらいのものだ。
泊まるなど、申し出るほうも受け入れるほうもよほど親しくないと、ありえない。
まともな人なら、お互い気を遣うし気疲れする。
そう考えると、やはりお客さんはホテルに案内したほうがいいのかな、と思う。
一方で、身内にホテルに泊まってよ、とは言いづらい。
ぶどうさん夫婦含めて大所帯になって、風呂もトイレも1つじゃ足りません!って規模なら別だけど、夫婦二人くらいなら泊められないこともない。
ホテルに泊まってもらうなら、ホテルまで連れて行かなきゃ?だし、翌日迎えに行かなきゃ!になってしまう。
面倒だし、うちでいいか、ぶどうさんちにしてよ、となると、じゃあ布団は?となる。
で、貸布団を借りることになるわけだが。
貸布団代は、誰の負担になるのだろう。
おそらく、ぶどうさんちになるはず。
場所はあるけど、布団がないのはぶどうさんたちのせいだから。
遠いところを交通費を払ってやってきて、お土産を持ってきてくれるのだから、当然?
たまのことだから、もてなして当然?
行き来があるなら、お互い様?
でも迎えた側はそのためにいろんな用意をしているはず。
ぼんやり待っている人なんて、いるわけがない。
お互い様の関係ならそれでいいかもしれないが、必ずしもそうでない場合もある。
それでも迎えたほうが負担することになるのだろうか。
とすれば、ホテルに泊まっていただく場合も同じになるのか。
ホテル代も、ぶどうさんちもち?
場所も、布団も提供しないのだから。
長い目で見れば、ほとんどは身内の場合お互い様だ。
それに大きな目で見れば、客室や客用布団を用意しないで済んでる分お金(建築費やリフォーム代、税金)や手間(手入れや掃除洗濯)が省かれている。
訪問回数が常識の範囲内であれば、布団やホテル代分くらいは省いた分ででることだろう。
たとえば、1万円のホテルに家族3人が年1回だと、3万円。
それが40年で120万円。
大きいようだけど、いらない部屋や布団を持つよりよっぽどマシだ。
ぶどうさんちには年1回ほども泊り客はこない。
30年で5回ほど(笑)
よし、終の棲家は、客室無、布団無で決定だ。
ぶどうさんちはそれでいいけれど、同じ家族が年一回ってわけはなく、別の身内が年何度もくるようなお宅なら、ちょっと考えなきゃいけないかもしれない。
計算するとすごい金額になる。
そして、お互い様も。
時には考え直さなきゃいけないんじゃないかと。
布団も場所も、持ってないから悪いというわけでは、本来はない。
自分たちの泊るところくらい、自分で手配するのが当たり前だ。
どうぞいらしてくださいとか、お礼に来ていただきたいと申し出があるならいざ知らず、勝手にやってきて泊めて、なんて厚かましすぎだ。
いくら身内でも度重なれば負担だし、気持ちのいい関係ではなくなる。
それはお客さんでも、同じ。
身内や友人と行き来できる関係を築くことは、人生を豊かにする。
とても素敵なことだし、コロナが終息したら、あちこち出かけて会いたい人はいる。
そして、人生100年時代。
50台なので残りまだまだあるのだし、他人とのかかわりをよい意味で楽しみたい。
よって、負担になる予感のするものに関しては、次のようにしていこうと思う。
①断る
②条件を提示する(金銭、時間、手間、負担の割合)
③気持ちよく引き受けられるのはどこまでか、決めておく
身内でも、お客さんでも、家に泊まるほどの仲になれば、近しい人といっていいから。
もうお客さんではなくなるだろうから。
はっきりと自分の気持ちを伝えて、互いにいい関係でいられるようにしたい。
もしそれが受け入れられないなら。
いい関係を続けられないと分かった時点で、お付き合いをやめようと思う。
50台半ば、それくらいの気構えをもって、人と接していきたい。
人生は自分の責任で生きなければならない。
不幸になったのは誰かのせいにしなくていいよう思いを伝え、線引きはきっちりとして、生きよう。
付き合う人は、選んでいいのだ。
幸せであるのは、当然の権利である。
幸せなのは、誰かのおかげと感謝して生きられたほうがいい人生といえるから。
いい人生にしましょう。