こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

花粉が収まったようなので、今日から外干ししました。

 

予報では、去年と同様梅雨が早いらしいです。

 

5月初めまでには冬物の残りを手入れしましょう。

 

本日、炊飯器のお話です。

 

 

お米を炊く道具は、日本人にはとても大事である。

 

人によってこだわりがあるので、絶対コレという決定版はない。

 

電気の安い炊飯器~超高級なもの、ガス式だと文化鍋~鋳物鍋、土鍋、ガラス、無水、圧力鍋など、お値段素材炊飯方式様々である。

 

ぶどうさんちでもいろんな変遷を経て、現在は電気式の5合炊きの炊飯器を使っている。

 

購入日から推察すれば、8年ものだ。

 

使い始めて2年ほどになる。

 

2人暮らしのくせに大きいサイズの理由は、貰い物だからだ。

 

もし買うなら‥5合炊きは大きくて邪魔なので、多分3合炊きにしただろう。

 

もらった時点で、すでに6年近く経過していた。

 

炊飯器みたいな、日本人にとってプライベートなものをくれる人って?中古でもらうなんて?

 

と思われたことだろう。

 

ぶどうさんも、見ず知らずの人に炊飯器をもらいたいとは思わない。

 

中古品も嫌だ。

 

そんなぶどうさんが、炊飯器をもらう相手と言ったら。

 

自分の親である。

 

実家を処分するときに他の兄弟に声がけをしたものの、誰も持っていかなかったのでもらってきた。

 

その炊飯器は、実家に新品のまま、箱入りで長いこと置かれていた。

 

実家は解体される予定だったので、新品のまま捨てられるのはもったいないなあと、我が家に炊飯器がないこともあって持ち帰った。

 

実は、その数年前父から「持って帰って」と言われていた炊飯器でもあった。

 

まだ父が元気で、両親が実家でくらしていた頃のことだ。

 

帰省するたび、座敷の一角に炊飯器の箱が置かれっぱなしであるのには気づいていた。

 

両親は子供たちにいろんなものを送ってくれていたので、実家には空き箱が沢山あった。

 

よって、父にとって荷物を入れるのに頃合いのいい空箱なのかな?と思っていた。

 

数年たってもそのままだったので、不思議に思って中を見てみた。

 

すると。

 

炊飯器が入っていた。

 

ビニールをかぶり、保証書も入っている。

 

新品の、炊飯器だった。

 

何年も新品の炊飯器を置きっぱなしとは、まったく意味が分からない。

 

少々小汚い古い炊飯器を使い続けていたので、すぐに父にこう提案した。

 

新しい炊飯器があるのなら、今使っている古いのは捨てて、それを使ったら?と。

 

ところが父は、「それは使っていないし、いるなら持って帰って。」と言う。

 

交換すればいいものを、あくまで古い炊飯器を使うつもりのようだ。

 

捨てるのが面倒なのだろうか?と思ったが、どうも事情は違っていた。

 

なんでも、母が炊飯器の蓋をどこかに置いてしまってみつからなかったので、慌てて新しいのを買ったらしい。

 

しかし、しばらくしてみつかったので、新しいのを使うことがなかったのだと。

 

新しいのにしなかった理由は、母のためである。

 

母は、アルツハイマー型認知症であり、慣れたものはかろうじて使える状態であった。

 

日常生活でできることは続けることで、居宅での生活をできるだけ維持しようとしていたのである。

 

その一つが、米研ぎと炊飯作業だった。

 

おかずは…正直とんでもないものを作り出していたので、作ることはなかったけれど、炊飯はなんとかできていたようであった。

 

だからこそ、父は、古いけれど母が使い慣れた炊飯器を使い続けていたのだ。

 

その事情は分かったけれど、いつか壊れるであろうからもらうわけにはいかなかったし、炊飯器を欲しいわけでもなかったので断ったいきさつがある。

 

その出来事から数年後、父の葬式が終わり、実家がなくなるという時、その炊飯器は同じところにそのままの状態で置かれていた。

 

誰も持って帰らなかった炊飯器の箱を眺め、夫がポツンとつぶやいた。

 

お父さんの生きた証だもん、持って帰ろうよと。

 

そんなに大きい炊飯器はいらないと思ったけれど、もったいないし、夫の言うことも理解できたので、我が家に運びいれた。

 

箱を開け改めて中身を見ると、取説に、購入した日付が父の書体で書かれていた。

 

すでに6年ほど経過していた炊飯器は、外見は確かに新品であったが、なにやら独特のにおいがした。

 

誰も住まなくなった家の、うらびれたにおいというか、そんなにおいがパッキンに染みついていた。

 

ご飯を炊くたび半年近くも、立ち上る湯気にそのにおいがしたのは、本当に参った。

 

においがしなくなったと気が付いたとき、父が成仏したのかなあなどと思ったものである。

 

ご飯は鍋炊飯派だったぶどうさん。

 

炊飯器が来てからは、改めてその便利さに気がついた。

 

自宅で、自力でギリギリまで暮らそうとするなら、炊飯器はあったほうがいいかもしれない。

 

母が慣れ親しんだものを使うことで維持できる能力があるのではと思っていた父の意図は、当たっていたのか否か・・わからないけど、ぶどうさんにいろんなことを教えてくれた。

 

お父さんありがとう。

 

そして炊飯器もありがとう。前に断ってごめんなさい。

 

この炊飯器も、使っている年数の割にはご老体だ。

 

いつ壊れることか。

 

そのときは、小ぶりの炊飯器に買い替えようと決めているぶどうであった。